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2007年02月20日

富士通 FM-77AV40EX

小学5年生になり、お受験戦争が開戦されクラスメイトの間に殺伐とした空気が流れはじめた頃、お受験予定がない私は早々に戦線離脱した。以後、学校は給食を食べに行く場所になった。

下校すると自分用のフロッピーディスクを持って一目散にこどもの城へ行き、パソコンをやりに行く日々で、通っていた小学生パソコン教室は、初級・中級・上級の全てを修了した。

その後、小学生パソコン教室修了者が参加できるパソコンクラブというものに所属した。

この時使用していたのが、富士通 FM-77AV40EXだった。FM-77シリーズの後継機で640x400の高解像モードや26万色モードが利用できるハイエンドマシンだった。でも、相変わらず、そのマシンを使ってやっている事は、FM-Logoだった。やがて先輩たちにF-BASICを教わって使うようになり、今考えると、超くだらないプログラムを量産していた。

特に下らなかったのは「BABEL」という赤文字を永久ループで表示するプログラムだった。このプログラムの意図が判る方は是非、コメントして頂きたい。

この頃から「パソコンでゲームをやる」という悪の道を先輩たちに教えられ、信長の野望やら、A列車で行こう、など様々ゲームで遊ぶようになった。

やがて、こどもの城だけでは飽き足らなくなり、親を説得、これまで親が貯めておいてくれたお年玉貯金を全て使って富士通 FM-77AV40EXを購入した。確か当時の店頭価格が12万5500円だったと思う。今考えると、今までに購入したPCで、これが最も高額なPCではないかと思う。

私は小学校に友達が全くいなかった。クラスメイトと一緒に野球をやったり、鬼ごっこに参加できない身体なので、友達をうまく作る事ができなかった。

しかし、パソコンクラブは学校の教室とは全く違った。パソコンという共通テーマがあり、それに参加できれば仲間に入る事ができた。しかも年齢幅が小学生から高校生までと広かったので、先輩たちが色々教えてくれた。パソコンに関する事も、それ以外の悪い事も。。。

パソコン少年といえば、家にこもってパソコンを一人で触っているというイメージがあるが、私の場合は逆でパソコンに出会う事で多くの友人に出会い、様々な経験をする事ができた。この当時の仲間と今でも飲み会を開催する事があるが、本当に良い仲間に出会えたと思う。

私に新しい遊び場と仲間を与えてくれたパソコン、それが富士通 FM-77AV40EXであった。

投稿者 abiru : 19:16 | コメント (4) | トラックバック

2007年02月19日

富士通FM-77

またもや社内SNSに書いた日記の転載です。(汗

富士通FM-77

MSXでコンピュータとの衝撃的なファーストコンタクトを果たしたものの長続きはしなかった。大人向けのリファレンスマニュアルを読んでBASICを学ぶのは、遊びたい盛りの小学生には、あまりにも過酷だった。

しかし、目の前にはとってもスゴイことができそうな「パソコン」という機械が存在していた。「なんとかコイツを使いこなせるようになりたい」「スゴイことがしたい。」という思いは日々強くなって行く一方だった。

今では、どうやってその情報を入手したのかも判らないが、ある日、渋谷にある「こどもの城」に「小学生パソコン教室」というものが存在する事を知った。私は両親に月謝を払ってもらって、その講座に通い始めた。

その講座で使用したのが「富士通 FM-77」だった。講座内容はFM-Logoというプログラミング言語を学ぶものだった。Logo言語はタートルグラフィックスという手法の言語で画面上に表示されたタートル(亀)へ「fd 100(「前へ100歩あるけ」の意)」というような形式で命令を出し、亀が歩いた軌跡に線が引かれる事で簡単なグラフィックスを描画するというものだ。

今考えれば、単なる図形描画処理だが、コンピュータが次々と私の命令を実行し次第に画面上に四角形や三角形や、様々な幾何学模様が描き上げられて行くのが楽しくて仕方なかった。

Logo言語は子供向けの教育用言語だったので、教材やマニュアルも小学生向けに作成されており、飽きやすい子供だった私でも難なく習得することができた。

ここで、私はコンピュータがやみつきになった。講座は毎週日曜日のみの開催だったが、平日も学校が終わると自分のフロッピーディスクを持ってこどもの城に通ってひたすらLogoで遊んでいた。ほぼ毎日。。。学校の勉強そっちのけで。。。

ちなみにこのFM-77というパソコン、8bitマシンでFDDを2つ搭載、色数はたしか8色だった。きっとファミコンと同等かそれ以下の性能だ。今考えるとキーボードのストロークが今使っているThinkpadよりも、うんと深くてキータッチは重たかった。リターンキーも小学生にとっては巨大で重く、スペースキーに至っては「スペースバー」と呼ぶほど長く、そして重かったかった。だから力を込めて打鍵しないとキーが反応しなかった。

それを私は小学生の小さな手で毎日のように

がちゃがちゃがちゃ・・・がっちゃ・・がっちゃ・・・
(文字キーの音)
ばしーん!(スペースバーの音)
がちーん!(リターンキーの音)

という具合に力一杯に打って遊んでいた。

三つ子の魂百までというけれど、この頃のキーの叩き方の癖が今でも抜けない。だから、オフィスで「あびるさんのキーの打鍵音がうるさすぎです。」という苦情を貰ったのも一度や二度では無い。あまりに強く打鍵しすぎて壊れてしまったキーボードもある。

職場の皆様、お許し下さい。これは私の幼少期にの体験と習得によるもので、簡単には矯正出来ないのです。

その後、このFM-77から始まる多くの出会いと様々な出来事が、私の人生を大きく方向付けて行く事になるのだが、それは次回、記載することとする。

投稿者 abiru : 01:56 | コメント (2) | トラックバック

2007年02月18日

2007修行8回目:水上宝台樹

パルネットワークに一泊して今日もスキーのレッスン♪

と思いきや、朝から頭痛がするぞ・・・。体調が思わしくない。どうやら寝ている間に冷えた模様。相変わらず環境の変化に弱い自分の身体には困ったものだ。それでも朝食を食べ、車中で更に仮眠を取りながらゲレンデに向かう。暖冬の影響でなんと、今日のゲレンデは小雨です。スキー場なのに。。。

レストハウスで準備をして雨が止むのを待ちながら、更に15分ほど仮眠した。だいぶ復調したのと、雨が弱まったのでリフトへ、リフト上でもウトウトしそうになる。どうやら単なる寝不足らしい。

注:スキーは危険を伴うスポーツです。事前に休息を充分取り、万全の体調で臨みましょう。。。(繰り返し)

午前中は1本だけ滑って、即休憩のためゲレンデ中腹の蕎麦屋へ直行。早めの昼飯に山菜蕎麦を食って休憩した時点でかなり復調した。

午後からは、スキーブラを数年ぶり固定式からスライド式に変更してレッスン再開。下肢の制御方法のイメージが大きく変わる。


固定式


スライド式

最近はロープと固定式スキーブラを使ったレッスンに慣れてきていたので、とても良い刺激になった。ひとまず当面はスライド式スキーブラで安定して滑れるようになる事を目標にしよう。

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投稿者 abiru : 23:23 | コメント (3) | トラックバック

2007年02月17日

2007修行7回目:水上宝台樹

今日は、宝台樹でのスキーですが、パルネットワークのレッスンではありません。

マイミクでもある知人の方にヘルプをお願いして、スキーに連れて行ってもらいロープを持って貰って滑りました。前日、深夜まで職場にいたために睡眠時間は2時間程度、後部座席で爆睡していたら水上にいたという感じです。

注:スキーは危険を伴うスポーツです。事前に休息を充分取り、万全の体調で臨みましょう。。。。(自省)

この日の宝台樹は晴天で2月なのに春スキーのような暖かさでした。なぜ、この日にスキーに行ったのかというと、やはりマイミクでもある別の友人が、この日パルネットワークでレッスンをしていたので、その様子を偵察にいったのです。彼は身体に緊張こそあるものの、身体の各部位は私よりも可動範囲が広いはずだし、日常生活でも杖を使わずに歩いているので、慣れれば私よりもスキーは上達するはずです。彼は今シーズン2回目のレッスンですが、来シーズンもやると言っていました。世の中にまた一人、障害者スキーヤーが増えたようです。いいことです。この調子で障害者スキーヤーを増やしましょう。

明日はパルネットワークでのレッスンなので、東京には戻らずパルハウスに一泊です。

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写真は爆睡しているワタシ(撮影:nagap)

投稿者 abiru : 23:45 | コメント (0) | トラックバック

2007年02月16日

YAMAHA MSX

以下、社内SNSに書いた日記の転載

「YAMAHA MSX」(詳細・型番不明)

これが、私が生涯で初めて触れたコンピュータというもの。詳細な型番は失念してしまった。親類の方が不要になったものを譲り受けたものだった。MSXにはファミコンのカセットのようなカートリッジが装備されていて差し込むだけでゲームができた。たしか今から考えると恐ろしくしょぼいサッカーのゲームに熱中していたっけ。

MSX-BASICも搭載されていたが、アホ小学生の私に使えるわけがなかった。それでも「コンピュータは何か凄い事ができる機械のハズだ。」と信じリファレンスマニュアルを1ページ目から読んでは何度も挫折した。

当時、リファレンスマニュアルの1番最初には「ABS関数」の項があった。ABS関数の説明文の最初には確かこう書いてあった「ABS関数は絶対値を演算します。」と。。。「関数」「絶対値」「演算」いずれも小学校4年生には読めず、しかも理解不能で宇宙からの言葉のようだった。

そんなある日、リファレンスマニュアルをペラペラめくっていると、次のような記述が目に入った。

PRINT 1+1

たしかダイレクト・ステートメントに関する項だったと思う。何気なくこのコマンドをマネして入力してみた。どうやってReturnキーを押す事を知ったかは今では定かではない。しかし、私はEnterキーを間違いなく
押した。すると目の前のテレビの画面は以下のように変化していた!

PRINT 1+1
2
OK

1+1=2これなら小学生の私にも理解できた!しかもコンピュータはご丁寧にも私に対して「OK」と返答までしてきた!次の瞬間、私はW杯でGOALを決めたサッカー選手の如くガッツポーズで天を仰ぎ絶叫した。脳内では生まれて初めてコンピュータという複雑怪奇な機械に命令し、それに従わせた事を祝うファンファーレが鳴り響いていた。ように感じる。

ともかくこれが私とコンピュータというものの、ファーストコンタクトだった。今でもこの日の感動を昨日のように鮮明に覚えている。

その後、とりつかれたように様々な数字の組み合わせで四則演算を繰り返し、何度も何度も、実行してそれが間違いなく計算をしている事を確認した。

この日から私のコンピュータ・ヲタな人生が幕を開けたと言っても過言ではない。ヘンタイと言われてもいい、この日私はコンピュータに一目惚れした。

今でもコンパイルが通った時、意図した通りの処理結果が得られた時、「おっしゃあぁぁ~!」とガッツポーズを決める瞬間にあの日の事を思い出す。

仕事が辛くてじけそうな時にも、目を閉じてあの日の感動を反芻する。

大人になった今も、あの日と同じ感動を求めてPCの前に座る自分がいる。

これが私の出発点・・・。

投稿者 abiru : 23:33 | コメント (1) | トラックバック

2007年02月11日

降誕節第7主日礼拝

久しぶりに礼拝の名称をタイトルにしたエントリを書いてみました。

今週は、友人と待ち合わせして礼拝に出席しました。礼拝の説教中にあくびをしていた事を友人に指摘される始末です。神様、ダメ求道者ぶり全開の罪深き私をどうかお赦してください。しかも来週は、またもやスキーで欠席です。本当にごめんなさい。赦してください。

礼拝後、友人と共にGoro's Dinerに行って食事をする。ここのハンバーガーは旨いのだ。マクドナルドばかりを食べ慣れてしまうとハンバーガーが安っぽいファーストフードだと考えがちだが、ここのハンバーガーを食えば、立派な料理である事を再認識出来るはずだ。お勧め!

その後、表参道を冷やかしたりしながら、渋谷へ移動し、こどもの城で水泳をする。

ぐったりした後で空腹を満たすため渋谷の文教堂書店の上にある居酒屋「北海道」に入るものの、どのメニューも「えせ北海道」ぶりが鼻についてがっかり.。。。

ここでは友人と呑みながら、お互いの趣味・嗜好についてかなりディープな話をする。かなりお互いの理解は促進されたと思われるが、同時に友人を失望させた事もまた事実である。許せ友よ。これが等身大の私なのだ。

「俺には、そんな自分にないキャラを何年間も演じ続けることなんて不可能なんだよぉぉぉー!!!」

自分のヘンタイキャラを思う存分、友人の前でぶちまけたことで、かなーりスッキリ。ふぅ。
次回、この友人と呑むときにはお互いを「ヘンタイ♪」と罵り合うことになるであろうが、それもまた友人であればこそ可能なアソビということでご理解頂きたい。

なんだか、関係者と当事者にしかわからんエントリだが、お許し願いたい。ま、自分用ブログなんで。

投稿者 abiru : 23:54 | コメント (0) | トラックバック

2007年02月10日

朝な夕なに集える友よ

山吹高校の同級生と久しぶりに再会して池袋で小さな飲み会がありました。事前の予定では、もっと多くのメンバーが参加する予定だったのですが、女性陣を中心に「夫の都合が・・・。」とか「こどもが・・・。」というような理由が多く、結局は男4人での開催になりました。このへんに時の流れを痛感します。次回はもっと多くのメンバーに逢いたいものです。

そういえば、月例化していた小学校時代の集まりの方が、少しご無沙汰になってますな。ごめんよスキーシーズンが終わるまで待っておくれー!

投稿者 abiru : 23:43 | コメント (0) | トラックバック

2007年02月04日

2007修行6回目:水上宝台樹

パルハウスに一泊して今日もスキーのレッスンです。

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昨日とは一転して今日は吹雪でした。雪上を滑るスポーツなんですから雪が降っているのはある意味で当たり前なんですが、このところ、晴天に恵まれたスキーばかりしていたので、身体がビックリしていてついてきません。思い通りに動作ができなくて何回も転んでしまいました。そんなこんなで積雪があったため、今日も雪質はよかったです。

今シーズンは、滑走する速度は上がったものの、筋力がそれに比例せず時間一杯滑る事ができません。午前と午後で6本も滑ると下肢の持久力が無くなって、途端に足の動きが鈍くなり思うように滑れなくなります。やはり減量と筋トレが必要なようです。

さて、次回は17日だ。

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投稿者 abiru : 23:52 | コメント (0) | トラックバック

2007年02月03日

2007修行5回目:水上宝台樹

5:30に起床するつもりが目覚めたら5:55でかなり焦ったあびるです。

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速攻で荷物を詰めて東京駅へ急行!上越新幹線の改札前に着くと沢山の人混みが・・・。なんだ!?と思っていると、ガーラ湯沢が強風のためクローズのアナウンスが流れている。さすがJR東日本直営のスキー場は違うな東京駅で放送が入るなんて。先日も強風でゴンドラが止まってスキー客を山に取り残したらしいから、結構、運営に神経質になってクローズしたのかも。自然相手の商売って難しいね。

そんな哀れなGALA組を尻目に新幹線に乗車した。さすがにスキーシーズンなので乗車率は高い。大宮以降は、通路に立って乗車する人もいた。俺もデッキに座り込みしたことあるけど、つらいのよねー、これ。

さて、今回もパルネットワークのレッスンです。寒い思いをしくないのでアンダーウェアもばっちり着込んでゲレンデに到着すると・・・。ポカポカ陽気の小春日和でした。orz

でも、おかげさまで寒さを気にする事もなくトレーニング集中できました。前々日に降雪があったようで雪質は最高のパウダースノーでした。暖冬が叫ばれ雪不足と人工雪によるゲレンデが増えるなかで本当に助かります。宝台樹のゲレンデは本当にコンディションがいい。

天候も雪質もいいので、当然スキー客も多いです。だから、ゲレンデを縦横無尽に滑る・・・とはいきませんが充分楽しむ事ができました。

今回初めて多くのスキーヤーが言う「粉雪は上達した気分になる。」というのを体感しました。足が動かし易くて板が動く動く!でも状態の良い雪ばかりで滑っていると、いつかどの反動が来そうでちょっと心配ですね。

レッスン修了後、パルネットワークが実はYahoo!の検索結果にスポンサーサイトの広告を出している事を知り、一緒に広告キーワードの検討会をしたりする。既にスキーに興味を持っている障害者の人だけでなく、スキーに興味を持っていなかった人をも引き込もうという事でいくつかキーワードを提案させて頂いた。はたして広告の結果、吉と出るか凶と出るか!?

投稿者 abiru : 22:42 | コメント (0) | トラックバック