このサイトは、みなさんからの情報が命です。感想やコメントなども大歓迎です。 特に注目すべき内容に関しては、このサイトのページに転載させて頂きます。 ---- ■これまでの投稿一覧 {{outline}} ---- *私、阿蒜です。千葉です。先祖は詩人です。 - 阿蒜 (2018年01月23日 08時50分25秒) {{comment}} !!母が阿比留です - あかね (2012年09月02日 09時49分29秒) 母が対馬出身の阿比留です。 阿比留村に住んでいた蘇我氏で、650年ごろ姓を阿比留へ改名、異賊退治の君命下り對馬州へ渡った。と、家系図には記載されています。 住んでいた場所から姓をとることが多いから、家系図を調べてみると面白いでしょうね。 *追記: 阿比留村の前に「下野國」とありました。 - あかね (2012年09月02日 09時56分15秒) {{comment}} !!畔蒜から我蛭に - 茨城の我蛭 (2012年04月11日 18時08分21秒) 私の我蛭(アビル)は,江戸時代に畔蒜から変わったものらしいです。近所には数軒の我蛭家がありますが,その全ては,その内の一軒のいわゆる本家から分家したものです。数十年前にその本家の主から,私の祖母が聞いた話では,江戸時代に現在の土地(茨城県河内町)に本家筋の祖先が,千葉県側から移住してきたとき,新たに檀家となったお寺の住職から勧められて「畔蒜」から「我蛭」に改名したということです(理由は「畔蒜」では“アビル”と呼んでもらえないからというこですが,「我蛭」でもなかなか“アビル”とは呼んでもらえません)。ただ,家には江戸時代末期の年号の木箱があり,そこには「阿蛭」と書かれており,「阿蛭」→「我蛭」と改名したのかもしれません。 {{comment}} !!お疲れ様です - 広美 (2012年03月29日 23時24分33秒) いつも休みの日は、何をしてますか?教えてください {{comment}} !!福岡出身の阿比留です - 阿比留@上海 (2011年11月11日 17時41分19秒) とても興味深くコンテンツと皆さんのコメントを拝見させていただきました。 曽祖父が対馬出身で、祖父以降福岡に生まれ、私自身も福岡で生まれ育ちました。 千葉とのつながりについて記述がありましたが、実は私の嫁は、九十九里にルーツを持つ家の生まれで、佐倉市の出身でもあります。 なんだか不思議なつながりに、妙に感慨にふけっております。 {{comment}} !!茨城の阿蒜です - 阿蒜 (2011年11月11日 16時45分52秒) ご先祖は千葉の小見川で名主だったらしいです 対馬派兵で残った人たちの末裔ですかね 江戸時代の利根川の境界線争いで仲介を努めたのが阿蒜さんという文献をネットで見たことがありますよ {{comment}} !!韃靼の馬 - 阿比留忠明 (2010年04月21日 12時25分52秒) 対馬市美津島町出身の阿比留です。初めて書き込みます。 ご存じかとは思いますが、昨年11月にスタートした日本経済新聞の連載小説は、辻原登氏の韃靼の馬(だったんのうま)。主人公は阿比留克人(あびるかつんど)という対馬藩士。朝鮮通信使行列の通訳として活躍中です。 *ユーチューブ - あ (2011年01月19日 17時22分36秒) {{comment}} !!安蒜さん - りんね (2010年03月31日 23時52分22秒) 千葉 流山市在住です。 歴史はよく分からないんですが… 近所の小学校の前に『安蒜家板石塔婆』というものがあります。 これは鎌倉時代末期に作られたものらしく その頃から権力を持ち始めたのかなぁ…? 未だに本家・分家の風習も残っています。 *安蒜家は鎌倉時代以前から続く家系ときいています。先祖は3人兄弟で松戸、流山、そして福田村(現在の野田市にそれぞれ分家していつたのが始まりときかされています。 - アンバー (2011年09月27日 22時36分08秒) {{comment}} !!千葉の安蒜です - あゆむ (2010年02月14日 22時42分01秒) 安蒜の由来を探してこのサイトにたどりついたのですが 昔、祖母が言っていた言葉を思いだしました。 安蒜家は昔、城をもっていたらしいのですが 嫁ぎにきた馬鹿女がとんでもない散財家で無一文になったと言ってました。 その聞いた当時は全然信じてなかったのですが このサイトみてたらあながち嘘でもないのかなってw ちなみに家紋は「モッコク」です {{comment}} !!銚子 - 阿蒜 (2010年01月15日 18時13分07秒) 千葉県の銚子に行くとほとんど阿蒜さんです(阿蒜・畔蒜は千葉県の名前です)成田山で姓名判断をしてもらったらこれは高貴な名前だそうです。大学の国文学の教授は一度で読めました。さすがです。ちなみに我が家は平家の末裔らしいので関東のあびるさんはみんなそうだと思います。三文字のあびるさんは九州の名前なのでルーツは全くちがいます。 {{comment}} !!和名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)で畔蒜の地名を確認しました - 畔蒜 孝 (2009年11月08日 22時34分07秒) 和名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)という、平安時代中期に作られた辞書の資料で畔蒜の地名を確認しました。 東海道 上総国 畔蒜郡(倭名抄訓:阿比留) と記されていました。 かな文字があまり使われていなかった時代は、漢字の固有名詞に漢字で倭文読みを記載するのが普通だったようで、古事記はそうした表記になっているそうで、”阿比留”は”畔蒜”の音を表すために用いられていたようです。 こちらのホームページに記されていたように”阿比留”のルーツの一つが”畔蒜”というのは正しいようですね。 千葉県 香取市 畔蒜 孝 !!松戸のあびるさん - 元松戸市民 (2009年06月21日 13時59分51秒) 全然学問的じゃなくて申し訳ないんですが 松戸市もあびるさん、多いです 街中をウォーキングしていると 表札のあっちにもこっちにもあびるさんな地域があります *z - 名無しさん (2011年01月19日 17時21分40秒) {{comment}} !!阿比留のルーツについて - 大阪の阿比留です。 (2009年01月04日 09時16分42秒) 対馬から大阪に来て100年になる3代目の阿比留です。 100年にもなるので対馬のことを知らないのではないかと疑いを持たれる方が多いと思いますが、決してそのようなことはありません。私は現在58歳の年齢になりますが、年に3〜4回対馬に帰省するので対馬の移り変わり発展はよく分かります。50年以上前のことですが、私が、小学生の時、名前が珍しいため、よくいじめられ、よく喧嘩もしました。その時代には「対馬」を知る人も少なく、また、「阿比留姓」を知る人はいませんでした。 今では、大西巨人著「・・・」司馬遼太郎著「街道を行く」にも阿比留姓が載っています。また、新撰組阿比留栄三郎、あびる優、ミーシャが学生生活を送った場所、野球選手の新庄選手の故郷、大島渚の故郷、マラソンの有森選手の母方の故郷、日本女子バスケットの宮本選手、北朝鮮拉致問題担当の阿比留瑠緯記者と対馬に関係のある人が増えてきたことは歓迎するところです。 阿比留姓のルーツについて知り得る範囲で記述します。 歴史的に見て宗家より対馬に先住していたことは間違いのないことです。文永、弘安の役の元寇より前に先住していたこと、対馬治めていた豪族であったことは間違いありません。 戦前叔父が皇居から呼ばれ皇居で勤務していたことを考えると豪族です。昭和39年大阪では公立の高校入試に戸籍謄本が必要であったので母親が対馬より取り寄せた際に「士族」と記載されていたことを覚えています。阿比留姓のルーツを狭めていくとどうも対馬の中に三箇所ほどのルーツがあるようです。一つは、現在の対馬市豊玉町廻りに二つの阿比留姓のルーツがあり一つが私どもの本家と大阿比留家があり、この家のことを王上と呼んでいて、歴史遺産は、対馬市に貸与しています。しかし、家に残っていた歴史的遺産は45年ほど前に全焼してしまいました。 私どもの先祖の話では、京都より対馬に移り住んだと聞き及んでいます。そこで、関西在住だけに阿比留姓のルーツが地名にあるのではないかと探していましたら、ありました。 15年ほど前、滋賀県守山市野洲に出張したときに詳細地図を見ていたときに阿比留村ありました。市販されている詳細な地図にも載っていました。名神高速道路のパーキングの地図に阿比留村記述されていました。 もっと詳しいことを調べる方法として、先祖の墓、先祖のお寺の宗派によるルーツを調べることができるでしょう。先に記述した「京都説」ですが、対馬の村のお寺は、臨済宗 南禅寺派であるため、阿比留姓のルーツは京都説の考えと、滋賀県守山市野洲 阿比留村は京都に近い位置にあるので京都説は考える範囲である。 何分にも、仏教伝来のルートとして、大陸文化の伝来ルートの要所として対馬はあり、それを守ってきた阿比留姓は、誇りを持つべきでしょう。阿比留のルーツは対馬にあり、対馬は、阿比留によって維持された誇れる美しい島です。 現在の対馬の様子をご存知でしょうか。 対馬の住民より、年間に訪れる韓国人観光客の方が多くその者達によって歴史的遺産は壊され、対馬人の礼儀正しい情までを壊されている。韓国人にとって対馬は、観光価値のある島でしょうか。対馬市の市長は何を考えているのでしょうか。   *守山市野洲というtころはありません - むっち (2011年01月17日 14時10分04秒) *守山市野洲というtころはありません - むっち (2011年01月17日 14時10分07秒) *守山市野洲というところはありません。滋賀県守山市小島町阿比留 ですね。 - むっち (2011年01月17日 14時11分04秒) *確かに守山市と野洲市は違います。しかし、野洲川を境として小島町は市の境界が入り組んでいますね。他県の者は、地図を見ても地名阿比留はなく、むっち(無知)と言われることに抵抗を感じました。滋賀県守山市小島町阿比留ですね。またまた、この地名で驚いたました。長崎県対馬市(旧下県郡)には、「小島姓」が、地域に多くあります。これも調べれは、楽しいものでしょう。 - 大阪の阿比留です。 (2012年05月07日 02時37分07秒) {{comment}} !!祖母の親戚を探してます - けいこ (2008年10月10日 12時23分21秒) 20年ほど昔 祖母から聞いた住所を頼りに長崎までは行きましたが 見つけられませんでした 祖母はその後他界しましたが 今も手元にある厳原町宮谷xx 阿比留xxという住所と名前を見るたびに さいごまで探してあげられなかったことが 悔やまれてなりません ずいぶん昔のことで 世代もかわっていると思うけど なんとかして見つけてあげたいです           ちなみに私は神戸在住です *私が住んでるトコに 厳原町宮谷地区ありますよ。 - 阿比留 (2012年02月13日 21時07分18秒) *厳原町宮谷は市庁のある一帯が宮谷です - 阿比留 (2012年05月15日 21時26分48秒) {{comment}} !!対馬の阿比留は養子縁組 - 阿比留 (2008年06月07日 12時04分16秒) 私達は対馬の阿比留の 最後の血です 現在父・息子・孫の三人 だけです!祖父が対馬と 縁を切った理由は言えませんが、戸籍の一覧で 証明と他中国から渡って来た中国政府のものを 知ってます。蒙古時代に 対馬戦略に来たのが事実 です。中国の歴代に名前を捜してみて下さい 阿比留←中国では読みが 少しちがいます(発音) 1999年の中国新聞にも少しでました。 {{comment}} !!私も阿比留です。 - 阿比留 (2008年04月23日 03時09分40秒) 私は、昔、千葉にある郷土史のようなもので 千葉の有名な豪族の中に阿比留氏 とあり、曽我氏の子孫とかかれてありました。 そこには、その後、九州の防人としていったあと 流されたかなんかして、対馬に渡りそこで宗教関係をバックボーン に成り上がったようなことかかれてました。 くしくも私は曽我氏のその当時住んでいた渋谷在住で占いも大好きで自分で実践してます。 これって、血かなぁ〜?? {{comment}} !!私が聞いた話では… - 私もあびるです。 (2008年04月01日 11時12分07秒) 私も対馬出身の阿比留姓ですが、 私が聞いた話では、「阿比留」はもともとは対馬を本拠地とした海賊で、 その後幕府から派遣された「宗」家に治められていたそうです。 廃藩置県によって「宗」家が対馬から出て行ってしまい、 阿比留姓はそのまま残ったと。 確かに対馬は皆さんおっしゃるとおり、阿比留姓が多いです。 クラスで数人はいるから、私もいつも下の名前で呼ばれてました。 そして「宗」という姓はほんとにいません。お墓はあるみたいですが。 自分の祖先が海賊って、ちょっとおもしろいなとは思っています(^^) *祖母の親戚を探してます - けいこ (2008年10月10日 12時01分02秒) *祖母の親戚を探してます - けいこ (2008年10月10日 12時01分05秒) {{comment}} !!阿比留さん - hm (2008年02月19日 17時23分38秒) 私の知り合いのアビルさんは 本来なら殿様だったといわれる、対馬の名士です。 詳しいことは知りませんが、財力も凄いし、家には神殿かお寺があるはずです。ルーツは分かりやすいかもしれませんよ、、 対馬、大阪、福岡でいろんな事業をされています。 どうしても興味があれば、お教えします。 {{comment}} !!あ - サクラ (2008年01月26日 01時48分28秒)  すみません。一部表現不足がありました。 中ほどで 「その昔阿比留族は豪族みたいなことをやっていた。            / 「その昔阿比留族は豪族で海賊みたいなことをやっていた。」に変更願います。ご迷惑をおかけします。 {{comment}} !!あびるのルーツ - サクラ (2008年01月26日 01時30分28秒)  私は九州の対馬に在住しています。阿比留姓は現在3万7千人に過疎化した対馬の人工の中でも一番多い姓です。私は阿比留姓ではありませんが、近所の友人知人あるいは親戚の中にも阿比留姓の方は、沢山いらっしゃいます。  数年まえ、あびる優というタレントさんをテレビで知り、とても気になっていました。友人らと、あの子は対馬の出身ではなかろうかと、論議をしていました。  私は阿比留姓ではありませんので、あまり詳しくはないのです が、近所の人の話しによると、「その昔、阿比留族は豪族みたいなことをやっていた。その後幕府から制圧を受けて鎮圧された。」そうです。  言われてみれば私の知ってる阿比留姓の方は、ほんと豪族みたいな勇ましい方が多い。あびる優にしても決しておしとやかではないようにみえます。  それではまた何か分かればお便りします。 {{comment}} !!無題 - ? (2007年12月05日 22時23分31秒) 阿含×蛭魔 略して阿蛭・・・だと思います。 これはアイシールド21のキャラクターです。 ですが あごん×ひるまなので正確な読み方は「あびる」ではなく「あひる」です。 阿ひる阿ヒルと表示されるところもいろいろありますが。(これは蛇足です。) !!ごりっぱですなぁ - 名のるほどでも (2007年11月22日 15時30分40秒) なかなかりっぱな活動なので思わず感心してしまいました。 私は大分県佐伯市の出身ですが、同級生(♂)に阿比留君という無骨な男がおりました。 だから阿比留姓については少なからず興味があり、あびる優の存在を知ったときは、「あ、こいつ絶対九州人やっ」と小躍りしたのをおぼえています。 阿比留はそちらさまのご研究にありますように、対馬を中心とした非常に由緒ある姓です。さらには対馬全体が中華および台湾の影響を受けているいることからも阿比留姓がそれらとなんらかの因果関係があることは容易に想像できるというものです。 これからも阿比留から心そらさずに注目してゆきたいと思います。 ではご健闘お祈り申し上げます。 失礼致します。 !!皆様の投稿をお待ちしております。 - あびる (2007年08月15日 23時36分34秒) 投稿して頂いた文面は、このようにこのページ自体に掲載されます。