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1999年11月16日
神様は、そんなに優しくはない。
新興宗教を熱心に信仰しておられる方々は、何を求めて、その信仰の門を叩かれるのでしょうか?「救い」でしょうか?「心の安定」でしょうか?「癒し」でしょうか?新興宗教に関して深く研究したり、調べた事はありませんがメディアなどで目にする新興宗教を見ていると、私は、「安易」であると感じてしまいます。
いや、安易過ぎると言っても過言でないでしょう。「教祖」と呼ばれる人が安易に「私は神である。」といった類の言葉を口にしたり、現世の苦役から逃れる方法が、簡単に示されていたり・・・。あまりにも耳障りの良すぎるといいますか人間にとって都合の良い部分が多すぎて、逆に宗教の名を借りた「苦しみから逃れたい!」という人間の欲望がその裏に見えてしまいそうです。
無論、宗教に苦役からの救済という側面があることは事実ですが、そう簡単に助けを求めて良いのでしょうか?その前にもっと何か現世に生きる一人の人間として努力できる要素が残されているハズだと考えます。
私は、神様という存在を厳しい父親のようなイメージで考えています。父親は、多少のことで子供が困っていたり、泣いていたりしてもそう簡単には助けてくれないものです。まして、甘やかしてはくれないものです。何か大きな危険が迫っていたり、子供の力では、どうしようもない事に直面したときに少しだけ手を貸してくれたり、適切な助言をくれたり、勇気づけたりしてくれる存在です。更に言えば、父親が課した試練から逃れようとする子供には、決して良い顔はしないものです。
そういった事から考えると私には昨今の新興宗教の構図は、甘ったれのガキと甘やかしてばかりの親に見えてしまうのです。やはり、宗教とは「苦しみから逃れる道具」ではなく、「苦しみに立ち向かう助け」とすべきだと私は考えています。