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2005年01月08日

備えて覚悟し祈ること

私が気に入って購読しているメールマガジンの中に「電子説法」
というのがあります。
電子説法 - 提供:法華コム
このメールマガジンで今年の元旦に配信された内容が非常に
心に残るものでしたので紹介します。
【電子説法】最悪に備え、最良を祈る
以下は私が特に感銘を受けた部分の抜粋・引用です。
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地震は善人と悪人を区別して襲いません。津波は信仰を持つ者も持たない者も
区別しません。諸行無常、あらゆるものごとは移り変わる。良いことは必ずし
も続かないし、悪いことも同じ。だから私たちは、幸福に安住して備えを怠る
べきではないし、不幸に絶望して自暴自棄になるべきではない──それが仏教
の根本的な考え方なのです。

 災害など起きない方が良いに決まってます。でも、それは不可能です。だか
ら災害に備える必要があります。誰もがケンカをせずに仲良く暮らせればいい
に決まっています。でも、それは不可能です。だからケンカのルールを弁える
必要があります。誰かを憎む気持ちなんて無い方がいいに決まっています。で
も、それは不可能です。だから怒りや憎しみの感情をどのように表現し、また
他人から向けられたネガティブな感情をどのような受け止め処理するかの智慧
を培う必要があります。いずれも、いうほど簡単なことではありません。安穏
と暮らしていれば「災害なんて起きた時の話さ」と軽く考えてしまうし、突然
誰かとケンカをして必要以上のダメージを相手に与えたり与えられたり、怒り
にかられて相手のちょっとした仕草や言葉に苛立ち心が掻き乱されて。それが
私たち「普通の人間」のありのままの姿です。でも、それではいけないのです。
備えと覚悟を培わなくては。

決して「思い煩うこと」ではありません。最悪に備えながら、心に抱く
べき祈りは最良のイメージです。諸行無常を心得て大切なものが失われること
を覚悟しながら、願うべきは幸福です。十界互具を理解して自分自身や他人の
心の内にある悪や汚れを大上段に拒絶しないとしても、目指すべきは菩薩・仏
様の境地なのです。だから──最後にこう祈らせてください。

 今年が良い一年でありますように。昨年の悪い出来事が復旧し、良い出来事
が継続しますように。戦争や犯罪で無辜なる人たちが犠牲になることがありま
せんように。様々な人格・資質・趣味・嗜好・信仰の人たちが共に暮らすこと
のできる社会になりますように。怒りや妬みや貪りの感情ではなく、喜びや慈
しみや充足の感情で私たちが満たされますように。そして今日も良い一日であ
りますように。
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ただ単に「いい年になりますよ〜に!」と祈るのではなく、
現実に生きている世界の問題点を強く意識しつつも、絶望
することなく、努力し、その上で始めて祈る事の本当の意味
を発揮できるのだと感じ、胸が熱くなりました。

投稿者 abiru : 2005年01月08日 04:54

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