あびるのしょぼ〜い半生 <誕生〜大学編>

1977年12月30日、東京都港区に生まれる。 予定日は、3月15日だったにも関わらず、よっぽど母親の胎内が気に入らなかったのか、それとも早く世の中をその目で見たかったのか7ヶ月そこそこで誕生してしまった。よって、超未熟児で生まれ、医者は、「1週間程度しかもちません」と宣言したそうな…。しかし、驚異の生命力で生き残り、未熟児で生まれたために脳性麻痺による体幹機能障害はあるものの、現在でも元気に生存している。

2〜4歳まで、東京都北区板橋にある東京都立北療育園という障害児専門病院に入院して過ごす。この間、親元を離れた為、看護婦さんがお母さん代わりだった。毎日のリハビリは今思い出してもきつかったと思う。この2年間の間に手術を2回受けてかなりの運動機能を得る。私の人生の中で最も重要な2年間である。だから、幼稚園には1年間しか行っていない

小学校入学に際しては、特殊学級に行くように進められたが、校長先生の粋なはからいで普通学級に入学できた。4年生の時に「コンピュータ」(MSX)に出会って感動し、「俺の生きて行く道はこれだっ!!」とひらめく。以後、東京都渋谷区にある「こどもの城」のパソコンクラブ所属して、学校から帰宅すると直行するという生活を送る。小学校には、友達がいなかったが、パソコンクラブには、友達ができた。

5〜6年生になって周囲でいわゆる「お受験戦争」が勃発し始めるが、私は、反戦平和主義者(笑)なので、参戦せずにのほほ〜んとしている。先生や級友からは、「おちこぼれ(脱走兵)」のそしりを受ける。これが、かなりのストレスになり一時、登校拒否らしき症状も見せたが親の鉄拳制裁(笑)で励まされ、不屈の闘志で通学続行!小学校は、6年間通して、あまり友人がいなかった。特に最後の2年は、お受験戦争難民だったから、私にとっては、暗黒時代である。

中学にはいると、同じクラスにパソコンを趣味としているヤツがいて友人になる。初めて学校で友達らしい友達ができる。その1人を経由してコンピュータ以外のつながりでも友達が増えた。女の子の友達もできた。この頃からやっと学校を楽しい場所と思えるようになる。途中、不良グループに目を付けられて、再び登校拒否になりかけるが、父親が不良グループのリーダの家に乗り込んでいって、話を付けてくれたので事なきを得る。なんでも「弱い者いじめをするぐらいなら、もっと強いヤツとケンカして学校一の番長になれっ!!」と一喝したらしい、トンデモない父親である…。

高校は、東京都立新宿山吹高校の情報科に進学した。情報科ということで、これまたコンピュータ三昧な毎日を過ごす。一方、部活動では、茶道部に所属し、部長も務めた。3年目には、高校にインターネットが導入され、初めてネットワークコンピューティングの世界を知り、再び感動する。気が付けば、LANケーブルの敷設なんかも手伝った。

そして、この時担当の先生の薦めで稚内北星学園短期大学サマースクール(インターネット入門コース)に参加、北海道の大自然に触れ、感動し、大学進学では、北海道進出を決意!見事、北海道情報大学に入学、野望を果たす。しかし稚内の方からは「裏切り者」との批判も・・・。大学では、サークルに所属せずにコンピュータ道に精進し(ホントか?)、UNIXの偉大さを知る。以降、俗世間をどんどん離れ、コンピューの世界に没頭してゆく・・・・。