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2005年01月13日

生きてるからできること。

受験に悩んだ末に踏切で自殺してしまったという女子中学生のニュースに関するエントリを書きながら、ふと思い出した事があったのでブログに載せてみます。先のエントリでは生きているという事がなにより大切だと書きましたが、大学時代の私には自分が生きているという事よりも大切だと信じていたものがあったようです。

◆あびるがいかにアホかを示す大学時代にあった政治学の講義でのエピソード◆

テーマは、「政治的である事」の定義についてだった。
相内先生は「価値あるものの拘束的配分に関わる事象は『政治的』な事象である。」と説明した。私が相内先生に「ここで言う『価値あるもの』とはなんでしょうか?」と尋ねたら「金銭、名誉、地位その他諸々、いろいろ考えられる。」と答えてくれた。そして相内先生は、逆に尋ねた。「金銭、名誉、地位とかいろいろあるが、あびる、君は何が人類にとってもっとも『価値あるもの』だと思うか?」私は200人を超す学生で満員の大講義室に響き渡る大きな声で、こう即答した。

「愛です!」

先生は呆れ、大講義室は学生の爆笑に包まれた。この時、教授が私に対して期待していた正解は「生命」であったという事を理解したのは、ごく最近のことである。しかし、この設問の正解を理解した上であえて私は主張したい。

「人類にとって最も価値あるものは『愛』である」

この世に生きていないと誰かを愛する事すらできないんだね。

なぜ、「生命」が正解として期待されていたかについて捕捉すると、生命の拘束的配分が実施される政治的な事象が実在するからである。それが「戦争」である。一方、愛情というものは為政者が拘束的配分をすることがきわめて難しく政治的な事象の対象とはなりにくいのである。

生命の拘束的配分を「戦争」と呼ぶとすれば、愛の拘束的配分はなんと表現できるだろうか。

やっぱ、アホだな俺・・・。

投稿者 abiru : 2005年01月13日 23:53

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コメント

愛が無ければ命を大切に想うことも出来ないと私は思いますよ?

投稿者 北野 : 2005年01月15日 01:39

たしかに・・・。

命がなければ誰かを愛する事ができず。
愛がなければ命を尊重する事ができず。
愛がなけれな新しい命は生まてこない。

う〜ん、深いね。
(by 近年愛に飢えている独身男)

投稿者 あびる本人 : 2005年01月15日 01:47

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