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2006年01月08日
文明と決別する日
この作品は、多分にノアの大洪水の影響を受けているようであるが、それもまたアメリカらしいとも言える。
この作品で描かれている科学的な考証の部分がどれほど現実性があるのか私には判らないが、京都議定書を離脱する米国と近年、叫ばれている地球環境破壊の現状を見ると、やがてこの映画のような日が現実にやってくるのではないかと感じる事ができる。
しかし冷静に考えれば、地球規模で考えた時には、これぐらいの大規模な天変地異が発生した方が今後の人類と地球環境のためには良いのではないかと思えるから不思議だ。氷河期が来て北半球にある西欧文明が壊滅的な打撃を受ければ、温室効果ガスによる地球環境破壊のかなりの割合は解消されるだろうし、人口爆発の問題も中国やインドなどの特に人口の多い国が打撃を受ける事でバランスがとられるかもしれない。
もちろん、こんな天変地異が発生したら自分は生きていられないだろうし日本のような島国は地球上から消滅してしまうかもしれないが、この映画の中で描かれているような地球規模の天変地異ならば諦めもつくというものだ。
いずれにせよ地球という惑星に構成された自然という名の循環システムが本当の意味で正常に機能しているのなら、いつかこの映画にあるような地球環境を本来の理想的な姿に戻そうとする大きな「揺り戻し」がやってくるだろう。そして人類は最初から歴史をやり直す絶好のチャンスが与えられるのである。
問題はその際に我々が2000年以上に渡って積み重ねた経験と失敗の事例をどうやって後世の生き残った人類に伝達するかという事である。もしかしたら、古代文明の遺跡に残されている象形文字とかの中には、そういった以前に同じ失敗をしてしまった文明人たちのメッセージが存在するのかもしれない。環境破壊の対策を考える上での考古学・・・。いいかもしれない。検討する価値がありそうだ。
もっと創造の羽を無制限に広げれば、そういった文明の発達と環境破壊の失敗を経験した上であえて文明を構築する事を放棄して、地球環境の循環システムの中に収まって生きる事を選択した種族が、今の類人猿やイルカ、クジラというような比較的知能の高そうな哺乳類だったりするのではないだろうか。
イルカあたりは文明を無駄に構築する愚かな人類を見て「あぁ、やめりゃあいいのに・・・。でも一度やるところまでやってみないと判らないんだよねえ。」なんて愚痴っているかもしれない。
いつか文明と決別する日を迎えられる事を信じて。地球環境の一部分として生きる事ができる持続可能な社会のあり方を考えていきたい。
投稿者 abiru : 2006年01月08日 01:53
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