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2006年12月25日
クリスマスおめでとうございます。
昨日24日(日)は、終日原宿教会にいました。今年は、クリスマスイブと日曜日が重なったので、クリスマス総員礼拝から、その後の愛餐会、夜のキャンドルサービスと一日がクリスマス一色でした。
実は、今回のような正統派のクリスマスを過ごすのは幼稚園の時以来なので、二十数年ぶりです。
元来、冬至のお祭りだったものが、後のキリストの生誕を祝うお祭りになったのがクリスマスの起源だそうです。「私もイエス様と同じ12月生まれだ。」と喜んでいたんですが、聖書のどこを読んでも、それが12月25日だったという記載はありません。どうやら、実際の生年月日については諸説あるようで、さまざまな伝統と歴史的経緯で12月25日に生誕を祝うという事になっているようです。日本の「建国記念の日」みたいなノリですかね。
クリスマス総員礼拝は、聖書の講読がクリスマスにちなんだ箇所(マタイ福音書2:1)であることと、アドベントで灯された4本のキャンドルがある以外は通常の礼拝でした。あ、月初の礼拝でないのに聖餐式が執り行われたのもクリスマス仕様なんでしょうか?
礼拝後の愛餐会では、壮年会(*)の寸劇に駆り出されて「学生A」を演じる。同志社大学では有名な「血染めの杖」とか「自責打掌事件」と呼ばれる逸話らしい。今回の寸劇出演で初めて新島襄という人の事を知る。自分が演じた学生Aは名前もなくセリフも一言だったが、気分だけは「自分の役は徳富蘇峰だ。」と言い聞かせて密かに楽しんだ。個人的にはもう少し一般的な演目をやった方が良いと思ったのが正直な感想。(汗) だって、同志社以外の人は多分ピンと来ないハズ。まぁ、牧師先生が同志社出身だし、教会員の方の中にも同志社出身の人がいるので、いいのかな。。。
※原宿教会では若手の男性教会員が少ないのか青年会は無いようです。
愛餐会は15時には片付けまで終わってしまい、19時の燭火賛美礼拝(キャンドルサービス)までは、何もする事がなかった。みんな一旦帰宅した人もいたようだけど、私は教会に残って時間をつぶしてました。
聖歌隊の練習を聞きながら、礼拝堂の大きな十字架の下に座って、柳生直道訳の「新約聖書」を読み耽る。現在は使徒言行録のはじめの方、なんとも贅沢でゆったりとした時間だった。至福の時。。。
こんな事を書いていると、またぞろ、各方面から、「阿蛭はどうしちゃったの?」という声が聞こえてきそうだが、事実なので、ありのままに書く。別に阿蛭は、いつもの通りです。なんで教会に通っているのかはご想像にお任せします。(笑) ただ確かなことは、「導かれた。」ということ。それだけ。それ以上の理由付けは、あまり意味が無いように思える。
18時にマイミクのよもぎさんと待ち合わせて燭火賛美礼拝に参加、高校時代の友人Kさんも来てくれて3人で礼拝に臨む。
蝋燭が点灯され、照明が落とされて、いつもとは違う雰囲気で礼拝が始まる。途中、マタイ福音書2:1の生誕の場面が朗読されている最中に礼拝に来ていた赤ちゃんが泣き出したのは、神様のちょっとした演出であったと信じたい。
この日は友人が二人も来てくれて礼拝に出席してくれた。このような素敵な機会を与えてくれた神様と神宮前までわざわざ来てくれた友人二人に心より感謝。
その後友人とスターバックスでお茶して、別れてから、もう一度教会の近くへ戻って幼稚園の時の同級生がやっているバーにのみに行く。
帰宅後、疲れが出て爆睡。
以上、私の28年の人生でもっとも充実したクリスマスでした。
私たちを常に支え、導き、共にいてくれる神様に深く感謝します。
投稿者 abiru : 2006年12月25日 23:59
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コメント
>投稿者 abiru : 2006年12月25日 23:59
(’o’) すれすれクリスマス書き込みだ。 わざとかな。
形ばかりのクリスマスがはびこる今日この頃ですが、この日記を読んで、本物のクリスマスとはどういうものなのか垣間見る事ができました。
※ちなみに、わが町の町内会には青年部があります。(但し最低年齢70歳以上)
投稿者 おかあつ : 2006年12月26日 11:35
とてもすばらしいクリスマスを過ごされたのがわかりました。あびさんのおだやかなこころの一部を垣間見させて(読ませて)頂きました。
投稿者 GAKU MURATA : 2006年12月26日 14:03