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2007年07月13日
処世術
私が保険契約している明治安田生命から会社のアドレスに定期的にメルマガが送信されて来るのだが、その中に「名言集」のコーナーがあり、それが私の小さな楽しみとなっている。
私の場合、多くのメルマガは、ほとんど読まずに「ごみ箱」行きになるか講読自体を解除してしまうメルマガが多いなかで、この明治安田生命からくるメルマガの名言集には必ず目を通す。
やはり、営業目的の情報発信であれば、あるほど、「買って下さい!」的な営業メッセージだけではダメだということを身を持って感じる。たしかに自分を訪ねてくる営業担当の方が販売商品の話しかしなかったら、確実にウザい。無論、販売商品の説明もしてもらわなきゃ、こっちも困るわけだが、まずはその人個人の人柄に信頼感を感じられるような、そんなちょっとした雑談が欲しいものだ。
おっと、こんな事を書きたいんじゃなかった。。。
別にナニが書きたいわけでもなく、ただ、明治安田生命から来たメルマガの名言集コーナーに強く感銘を覚える名言が紹介されていましたよってだけの話なんですわ。(駄文陳謝)
『最も賢い処世術は社会的因襲を軽蔑しながら、しかも
社会的因襲と矛盾せぬ生活をすることである。』
芥川龍之介
明治安田生命から来たメルマガの名言集コーナーより転載
<『侏儒の言葉』の掲載>
▼大正12年1月。菊池寛によって創刊されたのが雑誌『文
藝春秋』。その巻頭で掲載されたのが芥川龍之介の『侏儒の
言葉』である。明治25年東京に誕生した芥川龍之介は『文藝
春秋』の創刊時は31歳。一流作家としての地位を確固たるも
のとし、数々の名作を発表し続けていた時期である。薬物に
よる自殺を遂げるのは、その4年後35歳である。
▼「「侏儒の言葉」は必しもわたしの思想を伝えるものでは
ない。唯わたしの思想の変化を時々窺わせるのに過ぎぬもの
である。一本の草よりも一すじの蔓草、――しかもその蔓草
は幾すじも蔓を伸ばしているかも知れない。」と序で語られ
るように、この一連のエッセイは、芥川の思想の移り変わり
であり、自然、星、理性など幅広い範囲での思考を集大成し
たものと見ることが可能だ。
<処世術>
▼「最も賢い処世術は社会的因襲を軽蔑しながら、しかも社
会的因襲と矛盾せぬ生活をすることである。」という言葉は
「処世術」というタイトルを冠している。
▼「因襲」は、共同体や風土によって伝統的に受け継がれ
てきた風俗・習慣・制度。多くの場合、共同体の維持のため
に惰性的に踏襲されていて、そこから抜け出ようとしたり、
新しい試みをしようとする場合に、「縛り」として立ちはだ
かる種類のモノである。それを軽蔑することは、簡単だ。し
かし、その批判や軽蔑は、時折、どうしようもない凡庸さを
抱える。一方、その軽蔑と「矛盾せぬ生活」とを両立するこ
とは困難である。
▼企業や組織にも因襲はある。そして、それられに対する
軽蔑はほとんどの場合、制度の不自由さに対する居心地の悪
さであったり、非合理的な決まりに対する愚痴として出てく
るだけである。「矛盾せぬ生活」とは、それら「因襲」に上
げられた程度のことは軽やかにクリアしろということ。そん
なことに頭を悩ませていていては、新しい事なんて興せやし
ないということではないだろうか。「軽蔑していてもできる
」という能力を身につけたとき、共同体は、私たちにとって
の強力な武器になるのだ。
投稿者 abiru : 2007年07月13日 23:21
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コメント
内容に負けない仕事をしていきたいと思っています。ありがとうございました。(^^)
投稿者 isaka : 2007年08月05日 09:49