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2007年12月23日

受洗の時はやってきた。

本日、2007年12月23日(日)日本基督教団 原宿教会のクリスマス総員礼拝に於いて、私、阿蛭栄一は、洗礼を受けました。

以前、このブログで「それでも受洗の時はやって来るか?」というエントリを書きましたが、その時から約1年半、たしかに受洗の時はやってきました。

思い起こせば、原宿教会との出会いは、小学校に入る前の一年間だけ原宿幼稚園に通ったことから始まります。当時、まだ体も小さく、今よりも歩くことすらおぼつかない子どもだったと思います。そんな私を温かく迎えて入れてくれた原宿幼稚園での記憶は、とても良い想い出になっています。しかし卒園後、成長と共に教会から足が遠のいてしまいました。

鮭という魚は、生まれてから4年経つと生まれた河川へ戻ってくると言われていますが、私の場合、初めて神様の御言葉に触れた原宿教会に戻って来るまでに、結局、こうして二十年以上の時間を費やしてしまいました。

教会との関わりが復活するきっかけは、インターネット上で会堂が新築された、という事を知ったからでした。はじめは、ただ、新しい会堂を見てみたい、という興味本位で日曜日の礼拝に参加したのですが、何度か礼拝に出席するうちに、そこで得る充実感のようなものが、次第に大きくなっていき、今ではすっかり毎週のスケジュールとして定着しています。

「洗礼」について考えた直接的なきっかけは、「教会全体協議会」で話し合われた「聖餐・主の食卓を考える」というテーマに触れてからでした。そこで始めて洗礼というものが持つ意味や聖餐についてを知り、自分の中で考えを巡らすうちに「洗礼を受けたい」という気持ちを持つようになりました。しかし、「洗礼を受けることにしました。」という一言を言い出すきっかけを見つける事ができず、結局、一年以上にわたって態度を保留していました。その後、色々考えるうちに「洗礼を受ける理由なんて探してもだめだ。自分で決断して一歩を踏み出すしかない。」というところまで考えがまとまったのですが、それでも色々な悩みや心配があって、決断に踏み切れずにいました。

そして、十二月のある礼拝の後で土橋牧師から、「洗礼を受けてみる気はないか?」と問われ、その時、即答はできなかったのですが、帰宅する途中に「今だな。」と直感し、洗礼を受ける決断を遂にする事ができました。

何かと至らぬ部分の多い私ではありましすが、原宿教会の皆様と共ともに祈り、微力を捧げて参りたいと思いますので、宜しくお願い申し上げます。

投稿者 abiru : 2007年12月23日 23:23

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