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2008年04月10日
牧歌的インターネットの終焉
95年当時インターネットは非常に牧歌的な空間だった。皆紳士的で礼儀正しく、インターネット利用者は全員仲間みたいな雰囲気が僅かだがあった。それから10年以上、現在のインターネット空間は殺伐としている。実名での情報発信はごく僅かで皆、自分を守る事に重点を置いている。私はこれまで「みんな、何をそんなに臆病になっているのだろうか。そんなに警戒しなければならないようなリスクはないよ。」と考え、「俺の人生オープンソース」を標榜して、友人・知人に向けてあらゆる情報を発信していった。私の日常生活に関する情報など、何の価値も無いし、さほどのリスクは無いと考えてきたのだ。
しかし、それも終焉が近いのかもしれない。牧歌的インターネットが終焉してからも、私が牧歌的な情報発信を継続できたのは、私の周囲が好意的な人達ばかりだったからだ。ブログの読者も概ね友人・知人の仲間内であり、炎上のようなトラブルは、ほんの僅かな例外を除いて発生しなかったし、日常生活を綴ることで私自身が大きな不利益を被る事はなかった。
しかし、今このブログは岐路に立っている。そろそろ、私もブログにあらゆる情報を発信する事はリスクであるという認識を持つべき状況になっているのかもしれない。ともすれば、自ら進んで敵に自分を監視させ、攻撃させる材料を与えるような事にもなりかねないのかもしれない。
もう、自分の思いついた事を自由に書き散らし、ネットワーク上に垂れ流すという遊びが出来なくなるかもしれない。非常にさびしい。。。
今後は、プレスリリースのような表向きの限定的な情報や、私の日常生活とは無関係な情報だけに絞るべきなのかもしれない。
私が愛した牧歌的インターネット時代は終わったのだろうか。
投稿者 abiru : 2008年04月10日 22:39
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コメント
知人と議論してわかった。インターネットが牧歌的でなくなったのは、遥か以前のことで、いまさら話題にすることでもない。
むしろ、今、私に寂しさを感じさせている原因は、自分を取り巻く人間関係が牧歌的で無くなったということにある。確かに学生の時と同じノリでネット上に好き放題書ける状況ではないよな。当たり前のことだ。
ネットワークとどう付き合い、活用して、何を発信していくべきか、今一度考え直してみよう。
私の人間関係を牧歌的で無くしたのは、誰だ!そう、叫びたくもなるが、自分にも非があるので、ここでは問題としないこととする。
投稿者 あびる : 2008年05月13日 12:39
ま、ある意味Y高校が牧歌的だった、という説もある。
... でも 僕も思わないことないよね。 まだ98年ぐらいのころは、ネチケットという言葉が死語になってなかったし、ある程度リテラシがある人のみ参加する世界だったので、きちんと会話も成り立ったしね。 今みたいにわけのわからない次元の低いケンカに巻き込まれたりもしなかったし。
でも、当時は、アマゾンで本を買って書評を読んだり、WIKIで極めて高度な情報を調べたり、mixiでプログラマ以外の友達と知り合ったり、なんて使い方は出来なかったよ。 ユーザー数も少なかったしユーザー層も画一的だったから、そもそも無理だった。
今は、それだけネットが普及したという事で、僕はむしろそれは好ましい事だと思ってる。
問題は、システム基盤を作っているシステム屋に、そういうドラスティックな変化をきちんと認識しうるだけの、有機的な社会科学的視点が全然ないことだと思う。
> しかし、今このブログは岐路に立っている。そろそろ、私もブログにあらゆる情報を発信する事はリスクであるという認識を持つべき状況になっているのかもしれない。ともすれば、自ら進んで敵に自分を監視させ、攻撃させる材料を与えるような事にもなりかねないのかもしれない。
僕、ブログを持ってない。 僕は自分の気がついたことや発見した事をブログに書くつもりもない。 それはブログが出た当初から、あびる氏が指摘する問題を意識していたからだと思う。 ある意味、ブログってセンター街の入り口でケツの穴を見せながら歩くようなものだ。
mixiは その点、読者をピンポイントに限定できるから、とても気楽だ。
ブログを作った翌日に炎上したことがあって、時間のかかりすぎる対応にうんざりしたから、という事もあった。 匿名って面白い意見を引き出す力も持っているけど、一番面白くない意見を呼び寄せる力も持ってる。 これは、便所の落書きが意外と面白かったり、近所の金持ちが乗ってるオープンカーに子供が犬のウンコを投げ入れるのと何も変わらない。
この辺の社会科学的なアプローチをクリアするシステムが現れない限り、ブログは使い道がないように感じる。
投稿者 おかあつ : 2008年07月11日 23:30