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2005年02月06日

なぜアポロ計画は継続されないのか(2)

このネタ、話の発端になった掲示板では既に過去の話題ですが個人的に気に入ったネタなんで引っ張ってみようとおもいます。


◆◆◆なぜアポロ計画は継続されないのか(2)◆◆◆


■はじめに

今回は、前回のエントリに対して寄せられたヤモトさんの意見を元にして前回とは少し違った視点からアポロ計画が継続されなかった理由について考えてみます。具体的には前回のエントリで論述した理由のひとつである「研究対象の変化」について詳細を述べてみたいと思います。

■前回のエントリに対するヤモトさんからの返答

私のエントリの内容を読んだ上でネタの振り元であるヤモトさんは以下のような意見を下さいました。
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> あのね、そこに「人間ではけっしてたちうちできないようなもの」が
> あったからじゃないかと考えたの。生き物とかじゃなく。そんなん
> いたらむしろ捕まえて研究したいじゃん。
> 月から帰ってきた人はほとんど宗教家になっている。そんなんがヒント

> 月に行かない理由を、人間が決して超えられないものがあったから、
> と私は考えましたが。越えられないものというのは、『違う「時間」の流れ』
> ではないかと思ったんです。地球と月とでは時間の流れが極端に違ったのでは
> ないか、と。例えば、月に1日いるだけで、体のなかが20年年をとってしまう
> とか。なんらかの浦島太郎状態が起きちゃうわけです。これは恐怖でしょう。
> 医学も科学も哲学もたちうちできない。既存の宗教感も概念も飛び越えて、
> 帰ってきたひとたちをおかしくしたのではないかって。
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http://6910.teacup.com/bazar99/bbs?cmd=comtdisp&target=1106134469
http://6910.teacup.com/bazar99/bbs?cmd=comtdisp&target=1107169208


■私が考える人類が太刀打ちできないものとは

おそらくアポロ計画の当時、人類はやがて他の惑星や宇宙空間に住むようになると現在よりも真剣に考えられていたのでしょう。しかしアポロ計画の成果によって人類が地球外で生きるために必要なコスト及びエネルギーを考慮して収支計算すると全く割に合わず、人類が地球外で生きる事は無理だという事が判明したのだと思います。つまり、地球環境を守るために地球外で生きる方法を検討したものの、そのために掛かるコストやそのためのエネルギーの調達は結局、地球内部から「持ち出し」する以外に無いわけで、それでは意味が無いという事が計算上でも明らかになったのだと思います。

ようするに私が考える「人間ではけっしてたちうちできないようなもの」とは、「母なる地球の環境」であり、「地球外の環境の苛酷さ」だと思います。人類は未だに胎児のようなレベルでしかなく地球という母体を離れて生きてく事など不可能なのです。

こういった事から推定すると、地球環境破壊に対する対処策として「地球外移住」ではなく「環境保護」に研究の力点が移された事も納得できることだと思います。

#こういった事を踏まえて人類の未熟さや、
#地球と言う環境自体の偉大さ、人類同士で争う
#ことの矮小さを実体験しちゃったら、そりゃあ
#宗教的にめざめちゃいますよね。


■浦島効果について

アインシュタインの特殊相対性理論では、高速で移動する物体内部の時間経過は、その物体外部の時間経過よりも遅くなるそうです。したがってヤモトさんが言う浦島太郎状態というのは、全くの間違いではないとおもいます。ただし、月と地球で人間が実感できる程の時間経過の差が発生しうるかは疑問ですが・・・。

投稿者 abiru : 2005年02月06日 00:30

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