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2006年05月28日

祖母とラーメン、そして祈り・・・。

土日で札幌に行ってきました。瀕死だと言われている祖母に会うために・・・・。

正直、病室の前に来ても躊躇していました。実際に瀕死の祖母を目の当たりにしたら、私の方が取り乱してしまうのではないだろうかと。


実際に対面した時の祖母の様子は、これまでに無い程、衰弱した感じでした。点滴で得る栄養のみで自分では食事が摂れない状態でした。水やお茶を飲むにも介助を受けていました。しかし、挨拶をした私に「おぉ、栄一良くきたな。遠いところ、わざわざすまいないね〜。」と言って握手を求めてきました。その手には瀕死の者とは思えない力がありました。私の顔と名前も判るし、耳は遠いながらも聞こえていて、会話もきちんと理解している様子です。もっとも加齢(89歳)から来る若干の会話のすれ違いは否めませんが、これは元気な時からです。

そして話を聞いていると、例の嘆きが始まりました。「早くあの世に逝きたいと思っているのに、お迎えが来ないんだよぉ〜。」、「じいちゃんも、父さんも約束したのに迎えにこない〜。」この手のぼやきは元気な時からありましたが、実際に衰弱している状態の祖母の口から語られると、その痛々しさに涙せずにはいられませんでした。私は、もうなんと言って返答して良いものか考えられず、ただ「死ぬ時を自分で決める事はできないんだよ。」と言うのが精一杯でした。太平洋戦争の戦禍を生き残り、子供七人を育て、齢八十九歳になった祖母へ「頑張って生きろ。」などと激励するのは、あまりにも酷でした。私にできた事はただ祖母の手を握り、先日教会で祈った祈りを心の中で繰り返すだけでした。

祖母は、弱々しく、途切れつつ語る言葉の中で、ぽつりとこう言いました。

「ばあちゃんもね、この歳までいきたけどね、こんなに弱るのは、初めてでね、どうしたらいいのか、わからないんだよ・・・。」

89年間の経験を持ってしても、対処できないもの、それは「自らの老い」であると祖母は言っているのです。老いていくこと、それでも生きているという事がこんなにもつらい事なのだという現実を祖母は自らの生き様で私たちに教えてくれているように思います。

痛み止めを使用しているので、病気による直接的な苦痛は無いようです。しかし自分が衰弱している事は確実に理解できる。それにどう対処していいのか判らない。だから死んで楽になりたい。祖母の中では、そんな思考になっているようです。

かと言って、決して生きる事に絶望している様子ではないようです。その証拠に病室に来る人全てに何度でも「別れの挨拶」をするのですが、その言葉の全てが「ありがとうね。」から始まり「世話になったねぇ。」、「元気でやれよぉ」、「仲良くなぁ」というふうに終始、感謝と気遣いの言葉で埋め尽くされていました。私には到底真似できそうにありません。

その日、ちょっとした事件があったのは、私が帰宅してからでした。病室から札幌の祖母の自宅へ電話が掛かってきました。病室の祖母自身からでした。どうやら付き添いをしている別の叔母に携帯で掛けてもらったようです。その時、自宅にいたのは私と母と叔母の3人でした。祖母は電話口で「私が死んだら、法事に金が要るから7回忌までの分の費用は取っておけ。」、「自宅にあるものは・・・。」など、亡くなった後の指示みたいな内容でした。そして話の途中で祖母は、叔母に言ったそうです。「ワシ、今、どこにいる?」、叔母は「病院よ。」、すると祖母は「ああ、もう、病院にいるんだか、家にいるんだかわからない。」、痛み止めの影響と電話で自宅にいる叔母と話したことで、かなり朦朧としたのでしょう。そしてその後祖母はこう言いました。「テーブルの上に財布が出しっぱなしになっているはずだから片づけて・・・。」確かにリビングのテーブルの上には私の財布が放置されていました。一同無言に・・・。人間89年間も修行を積むと見えないものを見通す力が手に入るのでしょうか(笑

その後、更に事件は急展開、付き添いをしていた叔母が後に語った内容によれば、病床の祖母が急にラーメンを食べたいと言って譲らないというのです。根負けした叔母はコンビニでカップ麺を購入し、食べさせたそうです。これまで数週間の間、重湯とみそ汁しか飲んでいなかった病人に(!)しかしインスタント麺に口を付けた祖母は「うまくない・・・。二条市場のだるま軒のラーメン買ってきて。」この話を聞いた時、私は直感しました。祖母は決して生きる事を諦めていないんだと・・・。祖母は味にはウルサイ方でしたから、病院のおいしくない食事も自暴自棄になって「早くお迎え・・・。」をと言わせている一因になっているのだと思います。

というわけで翌朝、いとこが札幌二条市場のだるま軒に急行、テイクアウトはやっていないと断る店員を強引に説得してラーメンを病室へ持参、そこにいた全員の「どうせ、喰えないだろう。」という予測を裏切って祖母はお椀に3杯もラーメンを喰ったそうです。その後、嘔吐する様子もないので、祖母の消化器系は、まだ正常に機能しているのかもしれません。しかし、人間の食に対する執着の深さを見た気がします。その後、私が病室を見舞った際も「ラーメンうまかったよー。」と語っていたので、よほど満足したのだと思います。

その後の祖母は薬が効いてウトウトしている状態でしたので、私は15時頃に病室から出て札幌駅に行ってしまいました。そして事件はまた私の居ないところで勃発したそうです。実際その場に居た母によれば、水が飲みたいと言って起きあがった祖母が、水を飲み終えると・・・。「さっぱりお迎えが来ないので、もう少し生きてみることにしようかな。」と宣言したそうです。まだまだ体力的には衰弱したままの祖母ですが、心には生きる力が少しだけ戻ったもかもしれません。

私は、この結果について「祖母に生るための心の力と支えをお与え下さい。」と教会で祈った事が叶えられたと信じており、神の御業を見た喜びがあります。もっとも多くの親族は「だるま軒のラーメン効果すげー!」という形で認識しているようですが・・・。(笑

いずれにせよ、祖母が死を待ち望むのではなく、生きる事への想いを持てた事は非常に嬉しい限りです。

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今日の祈り:

天に在す我らの父よ御名を賛美致します。

祖母に残された時間を精一杯生き抜くための心の支え
と死の待ち望むのではなく、生きる事に感謝して残された
時間を過ごすための力を祖母にお与え下さった事に感謝
致します。どうかこれからも祖母や私たちが迷うことなく、
与えられた人生を歩んで行けますようにお導き下さい。

この祈りを主イエス・キリストの御名によって捧げます。

投稿者 abiru : 2006年05月28日 23:53

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コメント

いい話だね。
うちのおばぁちゃんは寝たきりになって、きっかけは癌だったのに体よりどんどん痴呆が進んで、たぶん死んじゃった事もわからないと思う。

昔の人は内臓が丈夫だから長生きなんだよね。
友達のお医者さんが言ってたけどうちらの世代は長生き出来ないって。

ラーメン食べたいな・・・
私はラーメン食べたら救急車呼ばないとだよw
背脂たっぷり・・・(@ ̄¬ ̄@)ジュルリ♪

投稿者 ユミちん : 2006年05月31日 02:10

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