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2006年05月28日
祖母とラーメン、そして祈り・・・。
土日で札幌に行ってきました。瀕死だと言われている祖母に会うために・・・・。
正直、病室の前に来ても躊躇していました。実際に瀕死の祖母を目の当たりにしたら、私の方が取り乱してしまうのではないだろうかと。
実際に対面した時の祖母の様子は、これまでに無い程、衰弱した感じでした。点滴で得る栄養のみで自分では食事が摂れない状態でした。水やお茶を飲むにも介助を受けていました。しかし、挨拶をした私に「おぉ、栄一良くきたな。遠いところ、わざわざすまいないね〜。」と言って握手を求めてきました。その手には瀕死の者とは思えない力がありました。私の顔と名前も判るし、耳は遠いながらも聞こえていて、会話もきちんと理解している様子です。もっとも加齢(89歳)から来る若干の会話のすれ違いは否めませんが、これは元気な時からです。
そして話を聞いていると、例の嘆きが始まりました。「早くあの世に逝きたいと思っているのに、お迎えが来ないんだよぉ〜。」、「じいちゃんも、父さんも約束したのに迎えにこない〜。」この手のぼやきは元気な時からありましたが、実際に衰弱している状態の祖母の口から語られると、その痛々しさに涙せずにはいられませんでした。私は、もうなんと言って返答して良いものか考えられず、ただ「死ぬ時を自分で決める事はできないんだよ。」と言うのが精一杯でした。太平洋戦争の戦禍を生き残り、子供七人を育て、齢八十九歳になった祖母へ「頑張って生きろ。」などと激励するのは、あまりにも酷でした。私にできた事はただ祖母の手を握り、先日教会で祈った祈りを心の中で繰り返すだけでした。
祖母は、弱々しく、途切れつつ語る言葉の中で、ぽつりとこう言いました。
「ばあちゃんもね、この歳までいきたけどね、こんなに弱るのは、初めてでね、どうしたらいいのか、わからないんだよ・・・。」
89年間の経験を持ってしても、対処できないもの、それは「自らの老い」であると祖母は言っているのです。老いていくこと、それでも生きているという事がこんなにもつらい事なのだという現実を祖母は自らの生き様で私たちに教えてくれているように思います。
痛み止めを使用しているので、病気による直接的な苦痛は無いようです。しかし自分が衰弱している事は確実に理解できる。それにどう対処していいのか判らない。だから死んで楽になりたい。祖母の中では、そんな思考になっているようです。
かと言って、決して生きる事に絶望している様子ではないようです。その証拠に病室に来る人全てに何度でも「別れの挨拶」をするのですが、その言葉の全てが「ありがとうね。」から始まり「世話になったねぇ。」、「元気でやれよぉ」、「仲良くなぁ」というふうに終始、感謝と気遣いの言葉で埋め尽くされていました。私には到底真似できそうにありません。
その日、ちょっとした事件があったのは、私が帰宅してからでした。病室から札幌の祖母の自宅へ電話が掛かってきました。病室の祖母自身からでした。どうやら付き添いをしている別の叔母に携帯で掛けてもらったようです。その時、自宅にいたのは私と母と叔母の3人でした。祖母は電話口で「私が死んだら、法事に金が要るから7回忌までの分の費用は取っておけ。」、「自宅にあるものは・・・。」など、亡くなった後の指示みたいな内容でした。そして話の途中で祖母は、叔母に言ったそうです。「ワシ、今、どこにいる?」、叔母は「病院よ。」、すると祖母は「ああ、もう、病院にいるんだか、家にいるんだかわからない。」、痛み止めの影響と電話で自宅にいる叔母と話したことで、かなり朦朧としたのでしょう。そしてその後祖母はこう言いました。「テーブルの上に財布が出しっぱなしになっているはずだから片づけて・・・。」確かにリビングのテーブルの上には私の財布が放置されていました。一同無言に・・・。人間89年間も修行を積むと見えないものを見通す力が手に入るのでしょうか(笑
その後、更に事件は急展開、付き添いをしていた叔母が後に語った内容によれば、病床の祖母が急にラーメンを食べたいと言って譲らないというのです。根負けした叔母はコンビニでカップ麺を購入し、食べさせたそうです。これまで数週間の間、重湯とみそ汁しか飲んでいなかった病人に(!)しかしインスタント麺に口を付けた祖母は「うまくない・・・。二条市場のだるま軒のラーメン買ってきて。」この話を聞いた時、私は直感しました。祖母は決して生きる事を諦めていないんだと・・・。祖母は味にはウルサイ方でしたから、病院のおいしくない食事も自暴自棄になって「早くお迎え・・・。」をと言わせている一因になっているのだと思います。
というわけで翌朝、いとこが札幌二条市場のだるま軒に急行、テイクアウトはやっていないと断る店員を強引に説得してラーメンを病室へ持参、そこにいた全員の「どうせ、喰えないだろう。」という予測を裏切って祖母はお椀に3杯もラーメンを喰ったそうです。その後、嘔吐する様子もないので、祖母の消化器系は、まだ正常に機能しているのかもしれません。しかし、人間の食に対する執着の深さを見た気がします。その後、私が病室を見舞った際も「ラーメンうまかったよー。」と語っていたので、よほど満足したのだと思います。
その後の祖母は薬が効いてウトウトしている状態でしたので、私は15時頃に病室から出て札幌駅に行ってしまいました。そして事件はまた私の居ないところで勃発したそうです。実際その場に居た母によれば、水が飲みたいと言って起きあがった祖母が、水を飲み終えると・・・。「さっぱりお迎えが来ないので、もう少し生きてみることにしようかな。」と宣言したそうです。まだまだ体力的には衰弱したままの祖母ですが、心には生きる力が少しだけ戻ったもかもしれません。
私は、この結果について「祖母に生るための心の力と支えをお与え下さい。」と教会で祈った事が叶えられたと信じており、神の御業を見た喜びがあります。もっとも多くの親族は「だるま軒のラーメン効果すげー!」という形で認識しているようですが・・・。(笑
いずれにせよ、祖母が死を待ち望むのではなく、生きる事への想いを持てた事は非常に嬉しい限りです。
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今日の祈り:
天に在す我らの父よ御名を賛美致します。
祖母に残された時間を精一杯生き抜くための心の支え
と死の待ち望むのではなく、生きる事に感謝して残された
時間を過ごすための力を祖母にお与え下さった事に感謝
致します。どうかこれからも祖母や私たちが迷うことなく、
与えられた人生を歩んで行けますようにお導き下さい。
この祈りを主イエス・キリストの御名によって捧げます。
投稿者 abiru : 23:53 | コメント (1) | トラックバック
2006年05月21日
復活節第6主日礼拝
原宿教会の礼拝に参加してきました。
なんか、毎回このエントリを書いていますね。このエントリを書かなくなったら、それは私が教会に行かなくなったか、もしくは教会に行く事がブログに書くほど事でも無いぐらいに日常化したのだと思って下さい。
今日は、念願であった幼稚園時代にお世話になった先生に逢う事ができた。だいぶお年を召されて小さくなってしまった印象を受けましたが、入院されていたという言葉とはうらはらに思いの外お元気そうでした。賛美歌を歌う声は非常に力強くて懐かしい気持ちになりました。
今日は初めて教会で祈りました。
一昨日、札幌の祖母の様態が芳しくないとの連絡がありました。母は昨日から札幌に行っています。叔父の話ではだいぶ弱っているようで、「苦しいので早くお迎えが来ないものだろうか。」と弱音を吐いているそうです。来週は私も札幌に行って祖母の様子を見て来ようと考えています。
自分の祈りを文章にしてブログに書くという行為を神様が良いとお考えになるか否かは、私にはわかりませんが、自分の祈りを確かなものとする為にここに書き記したいと思います。
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天にまします我らの父よ御名を賛美致します。
私の祖母は今、病の床にあって苦しんでおります。
その苦しみ故に生きる事への想いを弱くしており、
早く天に召されたいと言っています。
どうか祖母に力をお与え下さい。残された時間を精一杯
生き抜くための心の支えをお与え下さい。死の望むのでは
なく、生きる事に感謝して残された時間を過ごせるように
祖母に力をお与え下さい。
この祈りをイエス・キリストの御名によって捧げます。
投稿者 abiru : 23:17 | コメント (2) | トラックバック
2006年05月20日
障害者のリハビリについて考えてみませんか?
※5月20日に実施されるイベントに関する内容であるため投稿日時を5月20日に変更してあります。
このブログをご覧になっている方で身体障害者の方やご家族に身体障害者の人がいる方はいらっしゃいませんか?今回はリハビリに関するちょっとした告知です。
■リハビリってなんだ?
「リハビリ」と聞いて何を考えますか?骨折時の治療を思い浮かべる人が多いかと思います。しかし、私のように脳性麻痺による体幹機能障害を持つ者の場合「リハビリ」は、一生続けるライフワークです。20歳ぐらいまでの成長期は、運動機能を獲得するためにリハビリを行います。座れるようになる事、ハイハイができるようになること、立ち上がる事、歩けるようになること、脳性麻痺ではない人であれば成長過程で獲得する運動機能をリハビリによって獲得するのです。そして、成長後は、獲得した運動機能を維持するリハビリになります。障害の無い人も加齢と共に身体の柔軟性は失われ、運動機能が衰えますが、私の場合は、何も対策しなければ、より早い速度で衰えます。この衰えを緩和し、運動機能を維持できるようにするためにリハビリを継続的に行うのです。
■より良いリハビリを求めて
私にとってリハビリは、生活に関連する重要事項です。リハビリの成果で人生が大きく変わるといっても過言ではないです。成長期にどれだけ運動機能を獲得できるかによって、その後の学業や就職などの選択肢に多大な影響を与えますし、成長後のリハビリでは、何歳まで自立生活ができるかという問題に直結します。従って良質で効果的なリハビリが受けられる環境を作る事が必要なのです。しかし現状はそうなっていません。整形外科医や理学療法士の方たちの中にも、脳性麻痺の者の治療やリハビリの経験を持たない人がいます。個人的な経験で言えばそのような知識と経験を持っていて、私にとって有効なリハビリをできる医師や理学療法士は非常に希有な存在です。
■とりあえず何かを始めよう!
こんな状況に疑問を感じた障害者の人や障害者の親御さんたちが集まって5月20日の午後から「東京都障害者総合スポーツセンター」で、
「障害者の『医療』と『療育』を考える会」
というミーティングを開催する事になりました。主な内容はリハビリに関してドクターとのやりとりや、訓練内容などで、不満を持ったことや、逆に患者の側に立っての、よりよい『医療』『療育』を受けているなと感じるのはどんな時か。というような内容になる予定です。あまり話す機会のない、これらの問題を、みんなで一緒に考えてみたいと思っております。
また、第一回となる今回は、リハビリに関する色々な事に納得できなかった親御さんたち、障害者本人たちが、自ら動き、質問し、見てまわって、それぞれが納得のいく『医療』『療育』をたずね求めた経緯を語ります。(私自身も「障害者本人」として語るらしい。)それぞれの体験談の中でいろいろな訓練法、手術法、装具、医療関係者とのやりとりなどが挙げられると思います。その中には今後のヒントになる沢山の情報が隠されているかと思います。また、発表のあとには、「質疑応答」と「意見交換」の場を設けます。
もし、興味があったら参加してみて下さい。詳細は私に連絡をくれればお答えします。
【関連リンク】
・LS-CC松葉杖訓練法について
・LS-CC松葉杖訓練法研究会
投稿者 abiru : 02:22 | コメント (5) | トラックバック
2006年05月08日
責任の処し方
私は独身で子供もいないから偉そうな事を言える立場ではないが、一人の身体障害を持つ者として以下のニュースを看過する事ができなかった。私の意見に関して批判を受ける可能性もあるだろうが、思うところを率直に書いてみたい。
記事の内容は以下の通り。
重い知的障害を持つ長女(33)の首を絞めて殺したとして、宮城県警角田署は6日、同県角田市枝野寄井の無職佐藤隆子容疑者(55)を殺人容疑で逮捕した。長女は市内の施設に入所していたが、連休のため3日から1週間の予定で一時帰宅していた。佐藤容疑者は「自分が死んだ後の娘の将来が不安だった。産んだ責任は自分にある」などと話しており、同署は長女の将来を悲観し、殺害したとみている。
私はこの記事を読んで次のように感じた。
「この人は最後に親である事を放棄した。」
私の身近には知的障害者はいない。だからこの母親の苦悩を共感する事も残念ながらできない。おそらく私の想像を超える苦労や苦悩があったと思う。しかしそれを勘案しても自分の子供を手に掛ける行為は到底容認できない。
この事件について「福祉の欠陥である」と主張するのは簡単だ。しかし私は行政の責任を問う前に母親自身の発言の中にある「産んだ責任」という言葉に着目したい。
特別な事情がない限り親は子よりも先に死ぬ。それは障害の有無とは無関係の「自然の摂理」でもある。だから全ての親は子が自分の死後も自力で生きていけるように育てなければいけない。子供が障害を持って生まれたのであれば、なおさらそれを意識して将来を見据えた対策を講じなければならない。それが正しい意味での「産んだ責任」なのではないだろうか。
最近、障害を持つお子さんの親御さんとコミュニケーションする機会を得て、そのパワーに圧倒され、そしてまた私を自力で生きていける状態にまで育ててくれた両親を身近に見ていて痛切に思う。
この母親の責任の処し方は間違っている。
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【追記】
Sun, 14 May 2006 02:34:57 +0900
河北新報ニュースにこの事件に関するもう少し詳細な記載がある記事がありましたので転載しておきます。
河北新報ニュース 子どもの将来に悩み 角田・長女殺害佐藤容疑者
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知的障害者施設から一時帰宅中の長女を殺害したとして、殺人容疑で逮捕された宮城県角田市枝野寄井の無職佐藤隆子容疑者(55)が、事件の前にも長女を殺そうとして、同居の母親(76)に制止されていたことが6日、角田署の調べで分かった。
調べによると、佐藤容疑者は5日午後、長女の道子さん(33)の首を絞めようとしたが、母親に「子どもは天からの授かり物だから」と止められ、いったんは思い直したという。しかし、母親が就寝した後で、道子さんの首を絞めて殺害したとみられる。
佐藤容疑者は道子さんの将来について悩んでおり、自殺をほのめかすこともあったらしい。周囲には「産んだ責任がある」などと漏らしていたという。
道子さんは重度の知的障害があり、1981年から市内の知的障害者施設「はぐくみ学園」に入所。普段は同園で生活しているが、お盆と正月、5月の連休の年3回、1週間程度帰宅するのを心待ちにしていたという。
秋葉仁園長は「6歳のころからずっと面倒を見てきた方なので…」と言葉を詰まらせた。今回、佐藤容疑者が3日に迎えに来たが、変わった様子は感じられなかったという。「口数の少ない人という印象。親の会などで悩みを打ち明けることもなく、とにかく信じられない」と話した。
佐藤容疑者の両親は孫の道子さんをかわいがり、月1回の面会日にもよく姿を見せていたが、父親は今年1月に亡くなった。
近所の無職男性(63)は「父が亡くなったショックもあったのだろうか。悩みが重なった結果だとすれば、悲しいことだ」と言葉少なに語った。
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投稿者 abiru : 17:45 | コメント (7) | トラックバック
どうでもいいエントリ
ふと気がついた事を書いてみます。
今日の四谷4丁目近辺、深夜だというのにカラスがよく鳴いています。連休最終日で歌舞伎町の街は既に生ゴミが一杯になっているのでしょうか?カラスたちもご馳走が満載なので寝ている場合ぢゃないといった状況なのかもしれません。それにしても深夜に聞くカラスの鳴き声は不気味です。しかもカラスがうちのベランダに留まって鳴いているようで鳴き声が非常に気になります。
まぁ、大地震の前などには野生動物が姿を消すといいますから、カラスが元気でいるのはまだ東京の街が安全だという事なのでしょうかね。
逆に姿を消す直前に騒ぎ出しているだけだったりしてね・・・・。
これで明日の朝までに関東地方で大地震が発生したら俺は神!(2ch.net風に。)
トラックバック数で「真鍋かをり」に勝つ事も夢ぢゃないっ!!!
投稿者 abiru : 00:02 | コメント (2) | トラックバック
2006年05月07日
チェアスキーについて
友人のおかあつ氏から先日の「'05-'06シーズン総括」というエントリに関して質問のコメントがありましたので、今回はその内容に対してエントリを書いてみたいと思います。
■質問内容
素朴な疑問ですみません。パラリンピックを見ていると、そり式スキーにのっている人が印象的なんだけど、あび氏の場合それはちがうの? どういう基準でそり式⇔普通式に切り替わるの? 素朴な質問で申し訳ない。
■そり式のスキーは「チェアスキー」といいます。
おそらく、おかあつ氏の言っているそり式すきーというのは以下のような座って乗るタイプのスキーのことではないかと思います。
画像:パルネットワークより無断拝借(笑
これは正式には「チェスキー」と言います。
■私が使っているスキー
私はチェアスキーではなく普通のスキー板2本とストック2本を使うタイプのスキーで滑っています。ただし、それだけだと、スキー板の向きや角度を自力で制御できないので「スキーブラ」という補助器具を使用しています。
これがスキーブラ(固定式)です。
画像:パルネットワークより無断拝借
■スキーの選択基準
チェアスキーを使うか、それとも普通のスキーを使うかを選択する際の明確な基準はありません。基本的に各スキーヤーの障害の部位や程度によって個別に判断するものと考えられます。
私の場合は、日常生活でも立位が保持できることや、逆にチェアスキーに挑戦してみて全く滑れなかったという反省から、現在のスタイルになっています。
本気でパラリンピックでも目指すのであれば、障害の部位(私の場合は下肢)を使って競技をするのは弱点になりますから、チェアスキーの方が好成績を出せるのではないかという判断になるのでしょうけれど、私の場合は競技指向ではないので、「立位で滑れるうちは立位で行こう」という判断になりました。チェアスキーには強力な腕力が不可欠ですが、現在の私には「自分の体重+チェアスキーの重量」を持ち上げるだけの腕力はありませんでした。
■カテゴリ分け
競技としてスキーする場合に限っては、どちらのスタイルでスキーをやっているかが重要になります。それはパラリンピックをはじめとする障害者が出場する競技大会では、1つの競技がスキーのスタイルや障害の部位によって分割されているからです。例えばアルペンスキーの場合は、「立位」、「座位」、「視覚障害」というふうに1つの種目が3分割されます。そしてそれぞれにメダルが出ます。なので、どちらのカテゴリで競技をやるのかが非常に重要になります。
ちなみに同一のカテゴリであっても各選手の障害の程度によって有利/不利が出るので、競技前にメディカルチェックが実施され、障害の程度によって細かくクラス分けがされます。そして実際に競技を行った際の計測タイムに対して各クラスごとに設定された係数が掛けられて記録タイムが算出されます。このようなクラス分けと係数を利用することで平等な競技が実現できるように工夫がされているのです。
投稿者 abiru : 00:05 | コメント (1) | トラックバック
2006年05月04日
'05-'06シーズン総括
■はじめに
今シーズンは、スキーを楽しむようにになって3シーズン目でした。今までで一番スキーに熱中したシーズンであったと言えるでしょう。今回スキー板を購入したため、これで全ての道具が一式揃った事になります。今後の活動の如何によりますが、将来、振り返った時、今シーズンはスキーヤーとしての本格的な幕開けの年であったと記録されることになるかもしれません。
■シーズン概要
期間:2005年12月23日〜2006年04月23日
滑走日数:延べ14日間
総費用:概算で50万円程度(レッスン代、旅費、食費含む)
<実施場所と回数>
・水上宝台樹×9
・富士見高原スキー場×1
・軽井沢プリンスホテルスキー場×1
・シャトレーゼ・スキーリゾート八ヶ岳×1
・白樺高原国際スキー場×2
・尾瀬岩鞍(体調不良で催行中止)
■必要機材の購入
今シーズン最大の変化はスキー板(Volkl ENERGY 420)を購入したこと。これによってレンタルした板の違いから来る感覚の違いは無くなり、雪質と斜度、自分の身体状態など考慮すべき項目を絞り込む事ができます。
■大型バックパックの購入
スキー靴を収納可能なバックパックを用意しました。これによりスキー靴だけであれば発送せずに持参する事が可能となり、レンタルスキーと組み合わせることでスキーに行くための日程的な余裕を確保できるようになりました。
■ゴムパッキンの導入
スキー板を購入したので、改造が可能になりました。これまで滑走中や転倒時にスキーブラがはずれるという事象がたびたび発生し、対応に苦慮しておりましたが、スキー板先端のブラの留め金が来る位置にゴムパッキンを張ることでスキーブラがはずれるという事象が殆ど無くなりました。これにより滑走中の安全性と転倒時の時間ロスを軽減できるようになりました。ゴムパッキンは両面テープで粘着されており、使用後に剥がせるのでレンタルスキーにも利用する事は可能と思われます。
■補助ロープの導入
熟達したインストラクターでないと、バックボーゲンで前方を滑走しながら、ターン開始時にスキーブラを掴んで方向を変えたり、減速させるというレッスン方法ができません。そうなると斜度のある斜面ではスピードコントロールができずレッスンが困難を極めます。これに対する対策として補助ロープを導入しました。スキーブラの外側にロープを結束するリングがあるのでそこにロープを結び、後方からそのロープを引いて減速させます。これにより容易なスピードコントロールが可能になり、インストラクターの方の負荷を大幅に軽減できます。また左右のロープの引き方を調整することでターンを開始させる事もできるようです。これは飛び込みでプライベートレッスンを依頼した場合などに絶大な効果を発揮します。
補助ロープを使う事による効用は前述したような円滑なレッスンだけではありませんでした。実際に使ってみると自分自身の負荷軽減にも役立ちます。
■補助ロープ使用法の変更
その後、パルネットワークでのレッスン中に提案があり、補助ロープの結束位置をスキーブラの位置からビンディング後部に変更しました。スキーブラの位置に補助ロープを結束するとインストラクターがターンをコントロールする事が簡単にできてしまう為、実践的でなくなるというのが理由でした。確かにビンディング後部に結束した方がより自力で滑走している時のイメージに近く、スキーや身体にロープが絡まる事が少ないので有効でした。ただしこの方法はビンディングの形状によっては実施できない事があるので今後、検討・改良の余地があります。例えばスキー靴にベルトを巻いて結束・固定できるような方法を考案すれば、ビンディングの形状にこだわらず、私以外のスキーヤーもこの方法を利用する事が可能であると考えられます。
■レッスン依頼時の説明方法
初めて行くスキー場でプライベートレッスンを依頼し、きちんと滑るためには、スキースクール側に私の障害の状況を正しく伝え、それに対応できるインストラクタの人を選定してもらう必要があります。複数回レッスンを受けた経験として的確な説明をするためのポイントがある事がわかりました。
・障害者である旨を伝える
・スキーの経験はある事を説明する
・体重を伝える
・転倒時に起こして欲しい事を伝える
・若くてガタイの良い男性が良いと希望する
・「初心者」という言葉を使わない
特に最後の「初心者」という言葉を使わないというのが重要です。確かに私のスキー技術は一般人からみれば初心者並みですが、「初心者」という言葉を使うとインストラクターも初心者が割り当てられる可能性があるのです。私のような障害を持った者のレッスンの場合、ある程度経験値を積んだインストラクタの方でないと思った通りのレッスンができません。
■熟達度
未だ初心者の域を脱していないと判断するのが妥当でしょう。宝台樹のファミリーゲレンデように斜度とコース幅と雪質に恵まれれば転倒せずにある程度の距離を滑れるようにはなりましたが、少し斜度が強くなったり、硬い雪や新雪などのスピードの出易いゲレンデコンディションであったり、コース幅が狭いと充分な減速や的確なターンができなくなります。宝台樹のファミリーゲレンデの場合でもスタート直後の部分では、補助ロープを使用している状況です。
■今後の目標
斜度、雪質、コース幅等に依存せず、その状況に応じた的確な減速と滑りができるようになること。転倒時に自力で立位に回復できる方法を考案すること。最終的にはインストラクターを依頼せずに単独で滑走できるようになること。
■最後に
トリノパラリンピックが開催された事に影響されて「俺も競技大会に出てみたい。」と考えた事は事実です。しかし、現状を鑑みると競技会出場の前にクリアするべき問題が山積しており、まだまだ「まずは自力で滑れるようになること」が目標であると言わざるを得ません。現実と自分の状況を直視し来シーズンへ向けてオフトレに取り組む事が当面の課題です。
投稿者 abiru : 23:07 | コメント (5) | トラックバック
2006年05月03日
新宿引っ越しプロジェクト本日発足!
2006年6月 - 新宿引っ越しプロジェクト本日発足!
現在、居住している賃貸マンションの建物が老朽化による建て替えになり引っ越しをしなければならなくなりました。新しい住所も今と同じ東京都新宿区です。歩いて移動できる距離です(笑
やらなければならない事は次の通り。
・アパートの賃貸借契約終了の通知 → 通知済
・引っ越し業者の選定・予約 → 佐川に決定
・YahooBBの住所変更手続き →5月16日以降でないと申請できない。
・転出・転入届けの提出 → 新宿区役所へ、母へ依頼中
・銀行口座 →Webから即時変更可能なので引越し後に作業
・クレジットカード → JALカードへ電話連絡する。
・NTTへの手続き → 完了
・東京電力 → 完了
・東京ガス → 完了
・水道局 → 5月16日以降でないと申請できない。
・日本学生支援機構 → 用紙をDL済み引越し後提出せよ
・情報大学 → メールで連絡、返答待ち
・住友生命 → 完了
・明治安田生命 → 5月7日以降でないと申請できない。
・社会保険庁(障害年金) → 届け出方法要確認
・DDIポケットへの住所変更 → 引っ越し完了後116番で手続き
・郵便局への転送依頼 → はがきを入手せよ。
・さくらインターネット → 引っ越し完了後Webから手続き
・粗大ゴミの処分 → 清掃事務所に確認
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ぐあああ!めんどくせ〜!