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2005年02月26日
あなたが生まれた日
2月26日は父の誕生日でした。そして以下のリンクは、今私が愛読しているブログ「父の日記」に記載されている昭和17年2月26日のエントリです。
父の日記:昭和17年2月26日
フィリピンの前線で書かれた日記という事だったので、どんな壮絶な戦闘の様子が綴られているだろうかと考えていたのですが、戦況が膠着していたためか、意外とこの頃の日記の内容はのんびりしたものでした。映画なんかで見る戦争は壮絶な戦闘シーンばかりですが、これも実際の前線の様子なのでしょう。私の父が生まれた日確かに日本は戦争をしていたんですね。理屈としては理解できても、実感としてはちょっと想像がつきません・・・。
投稿者 abiru : 23:55 | コメント (0) | トラックバック
2005年02月25日
Richard Stallman
この人がGNUプロジェクトの第一人者でフリーソフトウェア財団の代表であるリチャードストールマン氏である。某カルトの教祖様では無い。でもまあ、ある意味教祖様だけどね。
ビル・ゲイツとその他の共産主義者たち - CNET Japan
まずは上記の記事でリチャードストールマン氏が宿敵ゲイツの主張に反論しているので一読してほしい。
リチャードストールマン氏は「すべてのソフトウェアはフリーであるべきだ」と主張している。今風に言えば「すべてのソフトウェアはオープンソースであるべきだ」という感じだろうか。私は彼の主張に共感できる。私のようにプロプライエタリなソフトウェアのサポートで給料を貰っている人間がこんな事をいうと変人扱いされるかもしれないが、たとえばOracleがオープンソース化しても、きっと我々がやっているサポートサービスへの需要はそんなに変化しないと思う。このあたりの話題については、もう少し自分の考えがまとまったら、このブログにでも書いてみよう。
ところで、話はそれるけどLinus氏が開発してるのはカーネルやデバイスドライバといったようなOSの中核部分が中心で私たち一般のユーザが「Linuxって便利だよねぇ」と感じる時の多くはGNUのツールの使い勝手が良かった事が原因だったりするのではないだろうか。Linus氏が開発してる中核部分と周辺で動作するGNUのツール、それにそれらをパッケージ化してくれるRedhat等のディストリビュータの努力があって初めて我々のような一般ピープルもLinuxの恩恵を受ける事ができるんだねぇ。いやいや、世の中には偉大な人がたくさんいるねぇ。感謝、感謝。
投稿者 abiru : 01:03 | コメント (0) | トラックバック
2005年02月24日
TCP/IP共同開発者にチューリング賞
Wired News - 『TCP/IP』共同開発者にチューリング賞 - : Hotwired
TCP/IPを開発したビント・サーフ氏とロバート・カーンの両氏にチューリング賞が贈られるとのこと。現在のインターネットはこのTCP/IPの存在を無くしては、あり得ないものですから納得ですね。やはりチューリング賞を取るためにはこのレベルの貢献が無いと無理なのですね。私のような凡人には縁の無い世界です・・・。
チューリング賞(Wikipedia)
投稿者 abiru : 22:57 | コメント (0) | トラックバック
2005年02月23日
タミフル飲んだんですけど・・・。
インフルエンザ脳症に新タイプ、大阪で子供6人死亡 - 読売新聞
インフルエンザに感染した後で中枢神経が急速に侵される「インフルエンザ脳症」が報告されているらしい。なんでも子供が数人就寝時に突然死したという報告もあるという。詳しい調査は行われていないと言われているが、大阪で死亡した6名中4名はタミフルを服用してから3〜7時間後に死亡しているという。
あのぉ〜、私もタミフルをガンガン服用していたのですがぁ・・・(泣
もう成人なんですけど、ホントに影響は無いんでしょうか。不安です。
投稿者 abiru : 23:27 | コメント (0) | トラックバック
2005年02月22日
ウィルスの駆除が完了しました。
静養中:看病してくれた母に感謝!orz
投稿者 abiru : 23:06 | コメント (0) | トラックバック
2005年02月21日
ウィルスの駆除を実行中です。
沈静化:タミフルが効いてきました。
投稿者 abiru : 23:58 | コメント (0) | トラックバック
2005年02月20日
ウィルスが検出されています。
投稿者 abiru : 23:55 | コメント (0) | トラックバック
2005年02月19日
ウィルスが検出されています。
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2005年02月18日
ウィルスが検出されました。
やってしまいました。といってもVBAでできたやつではありません。
ほんまもんのウィルスです。
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【ウィルスが検出されました!】
ウィルス名:インフルエンザウィルスB型
潜伏期間:2〜3日
症状:発熱、関節痛、頭痛、吐き気等
対処:医師から処方された内服薬(タミフル)を使用してください。
発熱が収まってから2日間経過するまでは出社禁止です。
一般的な風邪症候群とは違い、急激な発熱を伴います。
充分注意意してください。
注意事項:トレンドマイクロ社に問い合わせても無駄です。
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自分の体のウィルス対策は不充分でした。
投稿者 abiru : 23:35 | コメント (1) | トラックバック
2005年02月17日
海と空をこえて
Nifty全盛の頃は小学生で加入できなかった。こどもの城のパソコン教室ではじめて電子メールを送った時の事は覚えている。相手は隣に座っているクラスメイトだったっけ(笑
ニフティ、パソコン通信サービスを終了 - CNET Japan
いずれにしても、「パソコン通信」という一つの時代が終わったのでしょうか・・・。
私は「パソコン通信」という単語が口に出るたびに思い出す一つのテレビドラマがあります。それはたしか平成元年に放映された「海と空をこえて」というドラマです。
あらすじはたしか・・・。
夏休みに沖縄の無人島へキャンプに行ったら、参加者達がボツリヌス菌で食中毒になってしまう。しかも島外との連絡用の電話の受話器が壊れていて使えない。唯一ボツリヌス菌に感染していた漬け物を食べていなかったのは後藤久美子演じるサブリーダの高校生だけ。なんとか島外と連絡を取ろうと考えた末、自分が趣味にしているラップトップパソコンを持ってきていた事を思い出す。さっそくモデムを電話回線に接続し親のいる東京の家の番号をダイアルする。しかし当時のラップトップパソコンとモデムには、今のPCのように音声通話用のマイクやピックアップなどなく回線はつながるものの声通話ができない。やむを得ず自分が出入りしていた草の根BBSに接続して偶然開いていたチャットルームに入って窮状を訴える。しかし当初は全く信じてもらえずにいたが偶然チャットルームの会話をみていた加藤茶演じる小学校教師が自分の教え子がその沖縄のキャンプに参加している事を思い出す。チャットルームの参加者の裏付けを得てようやく真実だと判ったことで無事に食中毒の患者達は琉球大学の病院へ搬送される。しかし今度は彼らが感染しているボツリヌス菌がD型という特殊な型で国内には血清が無い事が判明してしまう。この事を知った草の根BBSのメンバは海外のBBSに接続しボツリヌス菌のD型血清を提供してくれる機関が無いか呼びかける。その結果フランスのパストゥール研究所に血清がある事を突き止める。血清を入手したフランス人の青年は、もっとも早い航空機でこの血清を日本に送付するために観光地をうろついていた日本人観光客に事情を話し、旅行の日程を繰り上げて日本へ帰ってもらえるよう説得して、血清を運んでもらい無事みんな助かる。
というお話しでした。
いやぁ〜、簡単なあらすじを書くつもりが思い入れがあるもんで2000バイト以上も書いてしまいました。今考えるとすんげ〜おとぎ話なんだけど、当時「パソコン大好き小学生」だった私は感動し「やっぱこれからの時代はコンピュータなんだよな。」と訳の分からぬ納得をしてコンピュータの技術者になるという夢を再確認したのでした。この後にやってきたのが世に言うパソコン通信ブームだったハズ。番組途中のCMでは宮沢りえ出演のFM-TOWNSのCMが流れていたっけ。
このドラマのDVDってないかな。
投稿者 abiru : 23:04 | コメント (3) | トラックバック
2005年02月15日
後は悠々自適だね。フィオリーナおばちゃん。
IT業界の表舞台からこのおばちゃんがいなくなったらちょっと寂しいな・・・。でも退職金が総額2110万ドルってのは、さすがだ!!
C・フィオリーナ、HPのCEOを辞任 - CNET Japan
これで後の人生は悠々自適だね♪でもフィオリーナの事だからこの後にもう一花咲かしてくれるんかなぁ。だとしたら楽しみだね。期待してるゼ。
投稿者 abiru : 23:51 | コメント (0) | トラックバック
2005年02月14日
間下このみちゃん!?
KonomiMashita OfficialHomepage
↑このネーチャンだれよ??
え゛っつ!!!間下このみちゃん!?これが!??
だって、間下このみちゃんといえばさ↓こういうイメージで止まったまんまだよね?
1980年代に国民的子役スターだった間下このみちゃんが、なんと写真作家としてデビューしたという。中学入学と同時に芸能活動を自粛して、その後は写真の勉強のため米国留学していたそうだ。
女性は、化けるね・・・。
投稿者 abiru : 01:32 | コメント (2) | トラックバック
2005年02月13日
FedoraCore2でATOK17 for Linuxが動いた!
最初に断っておくとATOK17 for Linuxの動作環境としてFedoraCore2はサポートされていません。でも、参考情報として公開されているFedoraCore3用のインストール手順とRedHat9用の設定ファイルの記述を元に作業を使えば、ひとまずは動作するみたいです。今このブログのエントリもATOKで書いています。もっとも、たった今使い始めたばかりなので今後何らかの問題にぶち当たる可能性も否定できませんが・・・・。でも、昔から手に馴染んでいる日本語入力環境は使っていても非常に快適だね♪最近、あんまり良い話題が無いジャストシステムさんですが、こういった優れた製品を提供できている限りは大丈夫だろうなという安心感を感じました。がんばれ!ジャストシステム!松下電器さんが何と言おうと俺はジャストを応援してるぞ!!
サポートFAQ [ATOK for Linux]:Fedora Core 3でのインストール方法(参考情報)
サポートFAQ [ATOK for Linux]:Red Hat Linux 9 設定例
しかし、いくら参考情報であると断っているとはいえサポート対象ではないOSへのインストール方法についての情報を自社のサイトへ掲載するとは、随分思い切った対応に出ましたね。その潔さが好きです。
あと、人名(姓)の変換候補に「阿蛭:あびる」を追加してくれてありがとう。こういうきめ細かい対応には尊敬します。
投稿者 abiru : 05:38 | コメント (0) | トラックバック
2005年02月12日
あなたが生まれた日
これ、おもしろそう!ちょうど、父の誕生日が近いので早速発注してみました。昭和17年2月26日です。ばっちり太平洋戦争の真最中ですので、きっと興味深い記事が載っていることでしょう。
と考えた後にふと思い付いて「昭和17年2月26日」というキーワードで検索してみたら、すごいコンテンツを発見しました。私のお父さんが生まれた日にこの方のお父さんはフィリピンの山の中で敵軍の後を追っていらっしゃったのですね。当り前と言ってしまえばそれまでですが、なんだかとっても心に響くものがありました。
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って書いていたら「父の日記」の制作者の方からコメントが!日付の記入ミスでこれは1月26日の日記なんだって、もうちょっと待てば26日の日記が登録されるでしょうから、それまで楽しみにしましょう。
投稿者 abiru : 20:09 | コメント (1) | トラックバック
2005年02月11日
遂に我が家にもくるかIPv6!?
ソフトバンクBB、「IPv6」対応のサービスを提供へ - CNET Japan
遂にというか、やっとというか、Yahoo BBがIPv6のサービスへ向けて動き出したようです。別にIPv6になったからといって革命的な変化が起こるわけじゃないし、IPv6じゃないと利用できないサービスの中に利用したい物があるわけでもないけど・・・。せっかく去年のサマースクールで勉強したのに実際に触れる機会が無くて、ちょっと寂しかったのよね。6月頃からはトライアルサービスもやるみたいだし参加してみようかな。ネットワークをIPv6化することで通常利用しているアプリケーションにどれぐらい影響があるかは事前に調査する必要があるな。ところで日常的に自室で使っているFedora Core2はIPv6対応なのかな。まずはそっからだ。
投稿者 abiru : 16:53 | コメント (2) | トラックバック
2005年02月10日
小学校3年生がスキー技能テスト一級合格
全日本スキー連盟公認の基礎スキー技能テスト一級に、自由ケ丘小学校三年、脇田俊輔君(9つ)が合格したという・・・。
もう、何も言う事は無い。俺もこの子みたいに小さい頃からスキーをはじめていれば、いまごろ・・・・。(はぁ。
投稿者 abiru : 23:43 | コメント (0) | トラックバック
2005年02月08日
松下電器よ冷静に考えよ。
ジャストシステム、「一太郎」の差し止め請求に対し控訴 - CNET Japan
ジャストシステムは先日の判決に対し控訴したとのこと。どうかこれかからの日本のソフトウェア開発の運命を背負って立つ覚悟で今後の公判に臨んで頂きたい。そして願わくば「何がアイコンであるか」といった矮小な論点で争わず、ソフトウェアと特許の関係が如何にあるべきかというような将来に渡って有益な議論をして頂きたいものである。
ジャストシステムさん、私はあなた達の味方です。ソフトウェア開発に関わる多くの人達が納得できる結論が導かれるまで、くじける事なく徹底的に議論を尽くして下さい。
また法曹会関係者の方々には、今回の裁判がIT立国を標榜するこれからの日本において、どれだけ重要な意味を持つ判決・判例を生み出す事になるかを正しく理解した上で臨んで頂きたいと思います。立法の精神と日本の将来を鑑みた正しい判断がされる事を強く要望します。
また、松下電器の関係者の方に申し上げたい。
「企業は社会の公器」であると説き、水道哲学を経営理念の根底に据えたのは、御社の創業者ではなかったか。確かに自社が開発した技術で特許を取得し、そこから利益を生み出す事は自体は何も非難されるものではない。知財立社という理念もわかります。しかし、今主張している特許が2005年の現在において本当に妥当性のあるものであるのか、今一度胸に手をあてて冷静に考えて欲しい。ジャストシステムを相手に訴訟を起こし、更には自社に競合製品があるわけでもないのに一太郎を販売差し止めにし、これほどまでに世間に動揺を与える事に一体どれほどの意味があるというのでしょう。今からでもジャストシステムと和解する道を模索する事をお勧めします。
投稿者 abiru : 23:36 | コメント (2) | トラックバック
2005年02月07日
一太郎をハート形クッキーに例えて考えてみる
◆◆◆一太郎に販売禁止と在庫破棄の東京地裁判決◆◆◆
■はじめに
この話題に関しては既に各方面で取り上げられているので、今さらな気がしないでもないが、ソフトウェアの仕事に携わる者としてそしてジャストシステム社の製品の愛好者としては、やはり言及しておかなければならない話題である
■概要
ジャストシステムの「一太郎」と「花子」が、松下電器産業が保有する「情報処理装置及び情報処理方法」(特許番号2803236/1989年10月31日出願)の特許を侵害しているとして争われていた訴訟について東京地裁の高部真規子裁判長が2月1日、特許権侵害を認め製品の製造と販売の禁止及び在庫の廃棄を命じる判決を言い渡した。
今回はこの話題について私の考えるところを述べてみたい。
■問題の特許を一太郎に適用する事は妥当か
問題となっている松下の特許は出願された1989年当時には、それなりに進歩性や独創性があり特許に値するものであったと考えられる。しかし、ワープロ専用機の操作体系の一部として考案され出願された特許をGUIのOS上で動作している特定のアプリケーションに適用することが妥当とは考えにくいというのが正直な印象である。
■訴訟の対象がジャストシステムなのはなぜか
問題のヘルプモードボタン機能はジャストシステムの独自開発ではなく、MS-WindowsのAPIを利用して実現されているものである。仮にこの行為が特許侵害であれば、ジャストシステムに限らず同じAPIを呼び出している全てのアプリケーションが対象となり影響は甚大である。アプリケーションの開発者はMS-Windowsがヘルプモードボタンを作成する機能を提供していたので、その機能を利用しただけなのである。こう言った事実を考えると特許を侵害している可能性があるのはMS-WindowsのAPIであり、ジャストシステムが訴訟の対象になっているのは方向性が違うのではないかと感じる。
■ハート形クッキーを使った例え話による考察
クッキーの生地をハート形に整形する専用器具があり、ある人がこれを使い「ハート形クッキー」を焼き販売した。するとある企業の担当者が現れて「私達は『ハート形クッキー』の特許を持っています。あなたのクッキーは私達の特許を侵害しているので特許料を払って頂けませんか?」と言う。しかし、クッキーを焼いた人はクッキー生地を整形する道具として販売されていたものを買ってきて使っただけである。その成果物が特許侵害だというなら、「ハート形クッキー」を作るための器具が特許侵害していると判断するのが妥当でありクッキーを焼いた人を訴訟の対象にするのは間違っていると感じる。
■まだまだ考えは、尽きません。
その他、いろいろ本件に関連して考えている事は多数あるのだけれど、まだ考えがまとめきれていないので、また別の機会に書く事にします。
■参考文献
ジャストシステム、松下に徹底抗戦 「一太郎」販売差し止めで - CNET Japan
ジャストシステム敗訴の波紋と今後の株価の行方 - CNET Japan
ジャストシステム、松下に徹底抗戦 「一太郎」販売差し止めで - CNET Japan
CNET Japan Blog - 江島健太郎 / 「一太郎」訴訟にみるソフトウェア特許のぶざまな現状
投稿者 abiru : 23:20 | コメント (2) | トラックバック
2005年02月06日
なぜアポロ計画は継続されないのか(2)
このネタ、話の発端になった掲示板では既に過去の話題ですが個人的に気に入ったネタなんで引っ張ってみようとおもいます。
◆◆◆なぜアポロ計画は継続されないのか(2)◆◆◆
■はじめに
今回は、前回のエントリに対して寄せられたヤモトさんの意見を元にして前回とは少し違った視点からアポロ計画が継続されなかった理由について考えてみます。具体的には前回のエントリで論述した理由のひとつである「研究対象の変化」について詳細を述べてみたいと思います。
■前回のエントリに対するヤモトさんからの返答
私のエントリの内容を読んだ上でネタの振り元であるヤモトさんは以下のような意見を下さいました。
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> あのね、そこに「人間ではけっしてたちうちできないようなもの」が
> あったからじゃないかと考えたの。生き物とかじゃなく。そんなん
> いたらむしろ捕まえて研究したいじゃん。
> 月から帰ってきた人はほとんど宗教家になっている。そんなんがヒント
> 月に行かない理由を、人間が決して超えられないものがあったから、
> と私は考えましたが。越えられないものというのは、『違う「時間」の流れ』
> ではないかと思ったんです。地球と月とでは時間の流れが極端に違ったのでは
> ないか、と。例えば、月に1日いるだけで、体のなかが20年年をとってしまう
> とか。なんらかの浦島太郎状態が起きちゃうわけです。これは恐怖でしょう。
> 医学も科学も哲学もたちうちできない。既存の宗教感も概念も飛び越えて、
> 帰ってきたひとたちをおかしくしたのではないかって。
----
http://6910.teacup.com/bazar99/bbs?cmd=comtdisp&target=1106134469
http://6910.teacup.com/bazar99/bbs?cmd=comtdisp&target=1107169208
■私が考える人類が太刀打ちできないものとは
おそらくアポロ計画の当時、人類はやがて他の惑星や宇宙空間に住むようになると現在よりも真剣に考えられていたのでしょう。しかしアポロ計画の成果によって人類が地球外で生きるために必要なコスト及びエネルギーを考慮して収支計算すると全く割に合わず、人類が地球外で生きる事は無理だという事が判明したのだと思います。つまり、地球環境を守るために地球外で生きる方法を検討したものの、そのために掛かるコストやそのためのエネルギーの調達は結局、地球内部から「持ち出し」する以外に無いわけで、それでは意味が無いという事が計算上でも明らかになったのだと思います。
ようするに私が考える「人間ではけっしてたちうちできないようなもの」とは、「母なる地球の環境」であり、「地球外の環境の苛酷さ」だと思います。人類は未だに胎児のようなレベルでしかなく地球という母体を離れて生きてく事など不可能なのです。
こういった事から推定すると、地球環境破壊に対する対処策として「地球外移住」ではなく「環境保護」に研究の力点が移された事も納得できることだと思います。
#こういった事を踏まえて人類の未熟さや、
#地球と言う環境自体の偉大さ、人類同士で争う
#ことの矮小さを実体験しちゃったら、そりゃあ
#宗教的にめざめちゃいますよね。
■浦島効果について
アインシュタインの特殊相対性理論では、高速で移動する物体内部の時間経過は、その物体外部の時間経過よりも遅くなるそうです。したがってヤモトさんが言う浦島太郎状態というのは、全くの間違いではないとおもいます。ただし、月と地球で人間が実感できる程の時間経過の差が発生しうるかは疑問ですが・・・。
投稿者 abiru : 00:30 | コメント (0) | トラックバック
2005年02月05日
障害者のためのスキースクール「パルネットワーク」
◆◆◆障害者のためのスキースクール「パルネットワーク」のご紹介◆◆◆
〜なぜ、私はスキー馬鹿への道を歩むに至ったのか!?〜
ここ何回かスキーをネタにしたエントリを書いております。このブログを読んでいらっしゃる方の多くは既にご存知かもしれませんが、私は身体障害を持っております。このエントリは障害を持つ方でまだスキーを体験したことのない方にその楽しさを知って欲しいと考え書く事にしました。
■さぁ、あなたもゲレンデに出よう!
私が毎回レッスンに通っているパルネットワーク(http://www.palnetwork.net/)は、障害を持った方をメインのターゲットにレッスンしているスキースクールです。まだスキーというものを体験した事が無いという人、スキーなんてできるわけないと考えている人!是非、一度パルネットワークの門を叩かれる事をお勧めします。
■友人からの誘い、そして草津へ・・・。
実は、私もはじめは「スキーなんて俺にはできないスポーツだ。」と勝手に決めつけ、最初から遊びの選択肢にすら入っていませんでした。そんな私に大変革が起こったのは忘れもしない2002年12月28日のことでした。この日私は高校時代からの友人と共になぜか草津国際スキー場にいました。
かねてより友人から年末に草津に旅行に行こうと誘われていたのですが、私は当初、温泉に浸かって酒を飲むだけだと思い込んでいたのです。しかし詳しく日程を聞くとスキーをするというではありませんか!?当然私は、「俺はスキーは滑べれないからみんなで滑べりに行っておいで、その間温泉に浸かっているから」と返答したのですが、友人は「ダイジョーブ、ダイジョーブ、対策は考えてあるから」と言い一緒にスキーをしようと勧めてきます。そして半信半疑のまま草津へ向かいました。後にこの友人の無責任な「ダイジョーブ!」という根拠の無い一言が私の人生を変えてしまうとも知らずに・・・。
■初スキー、そして挫折・・・。○| ̄|_
私が草津でスキーをするにあたって考えられていた問題点は、私の障害の特徴から考えて股関節が内転し、スキーの先端が交差していまうのではないかというものでした。この問題に対する対策として友人が用意したのが、ファンスキーでした。これは長さおよそ90cm程度の短いスキーなので、一見すると、スキーの先端が重なる事はなさそうで、これならイケそうな感じがしました。この段階で友人は「あとはリフトに乗せてしまえばなんとかなる」と安易に考えていたようです。正直私も同じような淡い期待を抱きました。しかし、現実はそんなにあまくはありませんでした。スキー靴で極度に動きを制限された足、そして滑べりやすくなっている圧雪面の上ではもはや、立位を保つことすら絶望的な程に困難だったのです。リフトに乗ることすら叶わず失意と敗北感だけを胸に抱いて、レストハウスでヤケ酒のビールを飲んだ後、みんなよりも数時間早くホテルへの帰路についた事は言うまでもありません。
■不可能へ挑戦するという宿命
私は生まれつきの身体障害者です。自分の体に障害が無い状態を全く知りません。思い通りに動かない部分があるこの体は不便であることは事実ですが、そこは自分の体ですから色々思い通りに動かせない部分の機能を代替する為の色々な方法も知っています。実際、日常生活の中で全く「できない」動作というのはほとんど無くなっています。これまでの経験と試行錯誤によって多くの問題に対しては何らかの解決策が用意できていました。
しかし、そこへほぼ20年ぶりぐらいに自分には全く「できない:不可能な」課題が提示されました。それがスキーでした。私は障害を持たない人が普通にできている事を自分もできるように訓練し、不可能を可能にするようにものごこついた時から教え込まれてきました。「人と同じ事ができてはじめてお前も人として認めてもらえるんだ」そんな風に脳裏に擦り込まれてきたのだと思います。そんな中で20年ぶりぐらいに自分の目の前に叩き付けられた「自分にはできない事」がスキーというスポーツだったのです。
別にスキーができないからといって生きて行けないわけではありません。障害を持っていない、いわゆる健常者と言われる人でもスキーを滑べれない人はたくさんいます。それは理屈では判っていました。しかし、「できない事はできるようになるまで何度でもやれ。」と教えられてきた影響でしょうか。ホテルに帰ってからも東京に戻ってからもスキーができなかった事への悔しさが拭えません!次第に私の心の中で「なんとしてもスキーを滑べれるようにならなければならない!」という使命感が波紋のように広がっていきました。
■パルネットワークとの出会い
東京に帰ってからも「なんとしてもスキーを滑べれるようにならなければならない!」という使命感は日を追うごとに強くなりました。そして考えたのです。世の中にはパラリンピックという障害者専門の競技大会があり、多くの障害を持った選手がスキー競技をしているではないか!?ならば私がスキーをするための方法も何かあるはずだ!と・・・。
思い立ってからYahoo! Japanで検索を開始し、およそ30分後私はパルネットワークのホームページに出会っていました。それが、2003/01/20 のできごとでした。
それからは非常に早いスピードで事態が展開しました。毎日パルネットワークに電話をしまくり、アポイントを取ったのがたしか1/26頃、その時の電話でそのまま予約を入れて初レッスンをしたのが1/31でした。その時の感動を私は日記に以下のように書き残しています。
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2003/01/31
【 スキー 】
行ってきました上越国際!
やってきました生まれて初めてのスキーを!
いやぁ〜難しいけど、楽しいね!
おかげさまで現在下半身が全体的に筋肉痛です。
しかし、北海道にいる間にこの遊びを発見できなかった事は
残念でなりません。
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はじめてパルネットワークでレッスンを受けてから、実はパルネットワーク以外の一般のスキースクールのインストラクターの方にもレッスンを受けました。でもそこで気が付いた事があります。それは、とにかくパルネットワークの場合は「障害者のレッスンに慣れている」という事です。当り前と言ってしまえばそれまでですが、一般のスキースクールで「障害者の人のレッスンもした事がある」というインストラクターの方と比較するとノウハウの量が断然違うと感じました。レッスンを受ける人が体を思い通りにコントロールできないんだという事を良く判った上で的確なアドバイスをしてくれていると思います。とても印象的だったのは初めてレッスンを受けた時のこと。滑走する方向を変える方法として一番最初に言われたのは次のような内容でした。
「いい?まず最初は何もしなくていいから、行きたい方に顔を向けてそっちを見て、そしてそっちへ『いきたいなぁ〜』って思って。それができたら、その次は行きたい方と逆の足の土踏まずがどこにあるか意識してみて。」
不思議なもので、言われる通りにすると行きたい方向に向けて少しずつスキーが動きました。その後も普通のスキーヤーのスタイルにはこだわらない色々な対処法を教えてもらいました。こういった独特のノウハウを持って親切丁寧な指導をしてくれる事がパルネットワークの魅力と言えるでしょう。
その他にもスキーブラといった補助器具やチェアスキーなど専門の道具も保有しているのであらゆる人のスキーレッスンに対応してくれるみたいです。盲人の方の先導やレッスンもしてくれるし、今シーズンからはポールレッスンもすると宣伝してました。とにかくレジャーとしてスキーを楽しみたい人からパラリンピックを目指したい人まで(?)一度パルネットワークの門を叩いて見ることをお勧めします!
さぁ!ゲレンデの白銀の世界があなたをまっているっ!!
2003/01/31に初めてレッスンを受けてから、もう!スキーがやみつきになってしまいました。寝ても醒めてもスキーの事を考え、オフシーズンになってもスキーの事が頭を離れません。はっきり言ってスキー馬鹿状態!2003年11月にはスキー靴を購入し、2004年12月にはスキーウェアを購入。会社に出勤する時もスキーウェアの上着を羽織っている始末です。
投稿者 abiru : 19:56 | コメント (3) | トラックバック
2005年02月02日
水上修行も延期して風邪休暇
明日、明後日と休暇を取ってスキーに行く予定でしたが、ものの見事に風邪を引きました。咳が止まりません。会社員生活も長くなると休暇に合わせて体調を崩せるようになるんでしょうか?ともかく、こんな体調でゲレンデに出てもケガをするか風邪が悪化して職場の皆様に迷惑を掛けるだけなので、苦渋の決断をしてレッスンをキャンセルし、この4日間はおとなしく幕張本郷のアパートで静養することにしました。まだ雪はある。代休も残ってる。そう、基本は「がっつかない。」と「スキーは修行ではない。」
そんな風に自分を納得させていたら職場の先輩が一言。
「カナダまで行けば4月になっても滑べれるよ♪」
あう〜、みんな私を破産させる気だぁぁぁ。(でも、行ってみたい。